4/1-4/15

4/1(月)曇り ときどき雨

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・今日は朝から歯医者だった。前回の検診で歯茎がかなり腫れていると指摘されたので、今回は保険の範囲内で全体をきれいにしてもらう。施術の合間、歯科衛生士のお姉さんが何に使うかよくわからない細かい部品みたいなのをうっかり床にぶち撒けていてちょっとおもしろかった。いっしょに拾った。次は親知らずを抜いてもらう。

・終わった後、そのままの足で日暮里の繊維街に向かった。最近過活動気味で疲れが溜まっている気もしたが、またいつ調子が狂うかもわからないので好きなことは今のうちに全部やっておきたい。

・手芸を趣味にしてから日暮里には何度か通っているけど、安いハギレコーナーから適当に見繕って買うことが多く、メーター売りしてる反物をメインに見て回るのは初めてだった。作るものも小さかったから、わざわざカット台で生地を買ってもらうのは……と思っていたのもある。そこからもっと自由に選択肢を広げて、作りたいものを具体的に思い描きながら改めて売り場を眺めてみると、いつもより格段にわくわくした。ここにあるものなんでも何かにできる!

・ブラウスとワンピースに使う生地と、飾り用のリボンやボタンを買って帰宅。明日からはしばらく家でゆっくり過ごしたい。今夜はポトフにする。

 

4/3(水)曇り

・体調が良くなると共に精神のスピードもかなり加速しているのをかんじたので、このまま勢いを落とさないよう、しばらくスマホの使用に制限をかけることにした。具体的には、朝起きた後と夜寝る前にそれぞれ1時間だけ触るようにして、それ以外では電源を落としてどこかにしまっておく。どうせ緊急の連絡なんてそう滅多に来ないのに、いつでもスマホを触れる環境にあると雑多な情報を拾うことにばかり時間を費やしてしまってもったいないと感じた。

・結果、読書や趣味に集中できる時間が増えた。もちろんただぼんやりしているだけの時間もそれなりにあるけど、それだって不要なノイズに惑わされることなく自分の声に集中できるのでいいかんじだ。昨日は詩をひとつ書くことができた。

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△不安しかない……

・今日からワンピース作りを進めていく。まずは布の裁断から。作り方の説明を読んでいると「すべて直線だけで出来るので簡単」というようなことが書いてあるが、洋裁をする上で"まっすぐ布を着る""まっすぐ布を縫う"この2点が他の何より難しいのを痛感していたところだったので油断はできない……。小物づくりをするときにはつい省きがちな布地の水通しも、昨日のうちにしっかり済ませておいた。アイロン台の端に合わせて布が歪んでいないかどうかも要チェック。

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・できた!ここから縫い進めていく。

 

4/4(木)曇り

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・なんやかんやあってワンピースが完成した。長かった……。(型紙、作り方はyanのてづくり手帖様より『スクエアネック*直線裁ちのギャザーワンピース』を使用させていただきました!)

・途中、下糸が謎に絡まる現象に悩まされ、いろんなところを何回もやり直ししたのが堪えた。いま思うともっと早く根本の原因を突き止めて改善しておくべきだった。最後のほうになって糸調子を調整したり、ボビンをもう一度セットをしなおしたりしてみたけど、ちゃんと直ったのかは不明なまま終了。次に服を作るときはまず最初に試し縫いをしよう、と心に決めた。

・あと、もっとゆっくり作ることを心がけたほうがいいかも。縫い始めるとつい夢中になってしまい、次へ次へとなりがちだけど、心に余裕がないとまた今回みたいなことが起こるなあと思った。

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・何はともあれかわいくできた。夏物ワンピースだけど、下にブラウスを合わせて着てもかわいいし、長く楽しめそう。リボンの歪みが気になるのでそこだけあとで直す。

 

4/6(土)曇り

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・冴えない天気が続いているけどせっかくの土曜日なので桜並木の下を歩いてきた。もっと晴れていたらじっくりお花見するのもよかったけど、あいにくそうじゃないので近くをお散歩するだけに。桜は全体で見るより近寄って花びらの一枚一枚をじっくり眺めたほうがきれいだな、と思った。
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・お昼ご飯は夫の趣味に付き合ってネパール料理のダルバートを食べてきた。いろんなカレーや漬物のよつや付け合わせをご飯に混ぜて味わう。味変の組み合わせが無限大でとても楽しかった。

・たまたま日暮里まで来ていたので、駅で夫と別れてひとり繊維街へ。次の次に作りたいものがもう決まっていて、そのための材料を揃えたかった。結果想定していたのと違うかんじの顔ぶれが手に入ったが、まあよしとする。

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・昨夜ハンドメイドやその他趣味のことについて考えていたら目も脳もぱきぱきになってしまい、実はろくに寝ていなかった。それで疲れていたのもあったのか帰り際急に精神の調子が悪くなってきてしまい、苦しい。最近やりたいことのアイディアが次々湧いてきてブレーキが効かなくなっていたので完全に反動だった。もう今日は無理しないようにしよう、と心に決めつつ、ここで急停止するとほんとうに病んでしまう気もしたので、ひとまず日記を書いたりして自分の思考と行動を振り返ることに。来週友だちと会う予定を入れておいてよかったと思った。

 

4/8(月)曇り

・ブラウス作りをする予定が、布の裁断方法を大幅に間違えてどうにもならなくなり、挫折……。

 

4/9(火)雨のち曇り

・高校時代の友だちとひさしぶりに会ってきた。ひとりで1時間近く電車に乗るのは久しぶりなのでちょっとドキドキ。平日とあって車内は空いており、基本的には座れたし、途中気分が悪くなることもなかったのでよかった。

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・ずっと行きたかった代官山のミッフィーカフェでお茶。梨のソーダが甘くて美味しかった。店内もミッフィーちゃんだらけでとてもかわいい。癒される。

・仕事が好きすぎて9-18時正社員として働きながらそのあとラストの時間まで居酒屋バイトしている、でも居酒屋バイトの方が楽しいんだよね、みたいな話を聞き、そこまで何かに生き甲斐を見出せるのはほんとうにすごいしかっこいいなと思った。そういう生活をしてる人ってたぶん世の中にはまあまあな数いるけど、生活のために仕方なくやってるって人が多数で、「労働」そのものに価値を感じているのは少数派なんじゃないだろうか。「働くことで誰かに認めてもらえるのが嬉しい」と言うし、働けば働くほど自分が磨耗していくように感じる私とは真逆だなあと思った。この友だちの、ハードなことをハードとも思わずにこなしてしまうところが昔から大好きで尊敬している。

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・渋谷に寄り道。ガチャガチャを回しに行ったら大きな現場猫がいて嬉しかった。かわいい。今日はかわいい尽くしだな。友だちも全身真っ白の天使みたいな格好をしていてかわいかった。

 

4/10(水)晴れ

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・ なんやかんやあってブラウスが完成した。メロンカラーで我ながらかわいい。(型紙、作り方はyanのてづくり手帖様より『後ろリボンのギャザーブラウス』を使用しています)

・裁断ミスして一度は諦めたのだけど、布がもったいないな……と思い直し、とりあえず形にするところまでがんばってみた。袖分の布がどうしても工面できず、意図せず半袖になってしまったこと以外はいい感じ。今度復習がてら同じ型紙でワンピースバージョンも作ってみようと思う。
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・後ろはリボンになっている。前回のワンピースとけっこうかぶる工程が多かったけど、襟の付け方は違ったのでここは初挑戦。何気に曲線もはじめて縫った。

・あと、ギャザー作るコツがなんとなくわかったかも!ミシンのセッティングもちゃんと正しくできるようになったし、成長が見えた部分もあって嬉しい。
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・ミシン糸とボタンの色もメロンを意識したサンセットカラーに。よくみると襟元の裏糸(?)が見えてるところがあったり、納得いかない部分もあるけどまあいいでしょう!

 

4/15(月)晴れ

・20週目の妊婦健診だった。今回は心臓や脳など細かい部分に異常がないか時間をかけて診てもらう。その過程で性別もわかったのだが、これがなんともともと予感していた通りだった。勘って当たるもんだ。

・どちらがいい、というのはなく、ほんとうに子が健康で生まれてくれればそれでいいと思っていたのだが、わかるとやっぱり嬉しくて、ずっと目をつけていた高いおくるみを衝動買いしてしまった。

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サイゼリヤでひとりお祝い。この子になんでも買ってあげて、なんでも望むことを実現させてあげられるようになりたい、そのためにしゃかりき働くぞ、という気持ちになってきた。守るものができると人は強くなるのかな。

3/16-3/31

3/16(土)晴れ

・近所の川までお散歩。途中パン屋さんに立ち寄り、いろんなパンを買って食べた。あとは特に何をするわけでもなくぼんやり川を見つめる。鳩がたくさんいた。

・このところ何もやる気が起きないなあと思っていたけど、やっぱり暖かくなってくるとあちこち歩き回りたい気持ちが出てくる。登山、はさすがに無茶なので、都内で公園めぐりをしたり、ちょうどいい丘を見つけてプチハイキングしたりしようかな。今日から安定期だし、もうちょっと体を動かしたい。

・川に飽きたあとは図書館に向かった。最近のわたしにしては珍しくまっすぐ家に帰りたくない気分だ。館内で適当な本を読んでいるとあちこちからくしゃみする音が聞こえてきて、花粉を感じた。そのうちお昼寝したくなってきたので帰る。

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△帰りに衝動買いしたシナボン

 

3/18(月)晴れ、強風注意

・何を食べても食べなくても太るので、頭にきて焼肉屋にカチコミ入れたら今朝は体重減ってた。

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・というわけでコメダへ。ひさしぶりに来た気がする。詩をひとつ書いた。なんとなく作品のストックがある状態に憧れるけど、使い途が思いつかない。

 

3/20(水祝)曇り時々雨

・マンションのゴミ捨て場に役目を終えた誰かの加湿器が置いてあったんだけど、その中央に知らないバンドのステッカーが貼ってあって、ちょっと愛おしかった。

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・家でお昼ご飯を食べたあと、夫婦揃って神保町へ。たまたま春の古本祭りがはじまったところだった。メインの通りにズラッと各書店の出店が並ぶ。それらをつらつら眺めつつ、結局は何も買わずいつも行くお気に入りの古本屋で三木成夫『内臓とこころ』をゲットした。大学の時お世話になった教授がおすすめしていて、それからずっとずっと読みたかったのに、なぜか積み本コレクションに加えることもないまま心に留めておいた一冊だ。なんとなく、今が確実に読めるタイミングだった。

・有名な純喫茶は混雑していてどこも入れそうになかったので、あちこち彷徨った結果サンマルクカフェに落ち着く。

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・コップに犬がいた。

 

3/21(木)晴れ 風強い!

・1ヶ月ぶりの妊婦健診だった。今回は助産師外来とのことで、いつもより丁寧にエコーを見ながらいろいろとお話を聞かせてもらう。寝転んでリラックスしてくださいと言われ、ひとまずその通りにするも、実際けっこう緊張した。現在の職業や産後のこと等についていくつか質問されたが、最近ほとんど家族以外の人間と話してないこともあり、言葉が一度森を彷徨って出てきたみたいな返答ばかりしてしまう。

・しかしなにはともあれ赤ちゃんは変わらず元気だった。胎盤が大きくて若干窮屈なのか、お腹の前で足を折りたたんで抱えている様子が見える。膝から下の骨がくっきり写っていた。

・エコー写真を大量にもらう。助産師さんが「かわいいからこれも撮っておこう」と言っているのを見て、親でもないのにこの段階からその感情を抱けるのってすごいなあと思った。当たり前だけど、赤ちゃん好きなひとがなる職業なんだな。

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・体重も特に問題ないみたいだったのでお昼は定食屋さんのハンバーグを食べた。小中学生ぐらいの子どもたちがそれぞれホールとキッチンでお手伝いをしていて、ああ春休みかあ、と思う。

 

3/22(金)晴れ

・今週は忙しいな。今日は区の保健師さんと妊婦面談があった。夫も午後休を取り、同席してもらう。区や国で行っている助成についていろいろ教えてもらったり、産前産後の体の変化ついて説明を聞いたりした。

・夫が赤子の首が座ってない状態をやたら怖がるので、それも不安点として質問してみると、ちょっと笑ったあとでやさしく抱っこの仕方を教えてもらえてよかった。

・ついでに両親学級の予約もして帰る。

 

3/26(火)雨

・高校の同級生にLINEブロックされてる!と思い込んで悲しんでいたが、朝起きたら普通に返信が来ていた。よかった。

・歯科健診を受けた。妊娠中はホルモンバランスの関係で口腔内の状態が変わりやすいらしく、歯茎がかなり腫れていると言われる。次回、全体をしっかりクリーニングしてもらうことに。

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・歯医者のすぐ近くにしゃぶ葉があったので帰りに寄った。この前の妊婦健診で胎盤大きめ臍の緒太めと言われてから無限にお腹が空く。栄養全部吸われてる気がするんだもん。

・カレーが美味しかった。食べ放題のカレーにしてはちゃんとお肉も入ってる。

 

3/28(木)曇り

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・昨夜とんでもない眠気に襲われていつもより3時間も早く床に就いたせいか、今朝はすっきりと調子が良かった。最近ようやくちょこちょこ触るようになっていたミシンを稼働させ、マチ付きのポーチ作りに挑戦する。材料を揃えたのは先月のはずだけど、何かにつけてやる気が出ないために進捗がずいぶん遅れていた。

・ミシンを使う作業はともかく、床に突っ伏して布に線を引いたりハサミで裁断したりするのがなかなか大変だと感じた。いままでは平気だったけど(肩は凝る)、お腹が大きくなってきたら何かやりようを考えたほうがいい。

・そんなに難しい小物ではないはずなのに、途中2回もミシン針を折ってしまった。それでもなんとか気力は続き、ようやく物が完成。まあ、おかげで針の交換方法も学べたし、これはこれで成長とする。

 

3/29(金)雨のち晴れ

・急激な気圧の変化にやられて午前中はずっと布団に突っ伏していた。これ以上楽にするのは不可能だという姿勢でいるのに、吐きそうな程の疲労を感じてきつい。ひさしぶりにつわりの時みたいな不調だった。

・午後になると空も晴れてきて、体調も回復したので少し散歩に出かける。昨日ポーチを作ってからまた手芸熱が出たので、洋裁のレシピ本を借りに図書館へ行きたかった。

・何冊か借りてみるつもりで本を手に取ったけど、どれもデザインがピンと来ず……。私にはまだ早いと思ってたけど、結局自分でデザインを考えてパターンも引けるようにならないと本当の達成感は得られない気がしてきた。

・そう思ってパターンの学習方法について調べていると、「いちからパターンを引いて服を作る場合、縫製方法や仕立て方についても自分で考えていく必要がある」と書いているサイトが見つかり、それもそうかー!となる。洋裁初心者過ぎてそもそも世にはどんな服の仕立て方があるのかもよく知らないので(何か作るたび新技術に出会う)、やっぱりまだ難しそう。この前実家に帰ったとき、妹が母親に「通販で買った子供服がペラペラだったから違う布で仕立て直して欲しい」と頼んでいたのを思い出し、いまさらながらそれができるのってかなりの高等技術では?と気が付いた。そしてそこまで(糸を解いて各パーツから型紙を抽出→自分の頭でやり方を考えながら縫製)できる母でも多分オリジナルのパターンは書けない。

・まずは簡単な服を何着か指南本通りに作ってみてから、有名な野木陽子『Sewing Pattern Bookシリーズ』を参考に身頃や袖の組み合わせを自由に試して一着作ってみる……のがいいかも、という結論に。どうにか赤ちゃんが産まれてくる前に一から自作の服を作れるようにならないかな。なんか最終的にはCAD?とかも触れるようにならなきゃいけないらしく、習得しなきゃいけない技術が多過ぎて死にそう。でもとりあえず、いきなり山の頂上は無理でも見えているあたりまでは登ってみよう。

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3/30(土)晴れ

・ひさしぶりに化粧でもしようと鏡の前に座ったら、明らかに太って輪郭がぼやけてきたのがわかってかなしかった。

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・今日は珍しく東京の西側へ。西荻窪〜吉祥寺間で遊んだ。大好きなカレー屋さんでお昼ご飯を食べさせてもらい、にこにこ。古本屋では洋裁のレシピ本を買った。

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井の頭公園。桜はまだほとんど咲いてなかった。だから咲いてないって言ったじゃん。

 

3/31(日)晴れ

・誕生日だった。今日から29歳だ。20代もこれで最後かあ、と思うとなんだか言葉が詰まる。しかも、次に年を重ねるときは母か。いまさら考えることでもないけど、こんな人間として未発達な存在がなっていいものなのかな。

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・去年結婚記念日をお祝いしたお店で、フレンチのコースをご馳走してもらった!事前に妊娠中であることを伝えておいたので、生物等は除去してもらうことができ、さらにはノンアルコールワインの用意までしてくれていた。きめ細やかな対応に感動。

・味ももちろん最高だった。メインディッシュの蝦夷鹿肉と濃厚な赤ワインソースの組み合わせが特に美味しくて、付け合わせのライ麦パンが進む。
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・デザートはいちごのパフェ。てっぺんに乗っているのは薔薇……ではなく、いちごの花をモチーフにしたメレンゲだそうで、このアイディアにも胸がときめいた。底のチョコムース?とその上のフランボワーズの何かが相性抜群で、いっしょに食べるといい意味でチョコのほろ苦さが引き出されるのがたまらなかった。

・食事中、この一年で強くなったよね、と夫に言ってもらえて嬉しかった。前の職場は人間関係がうまくいかず、逃げるように辞めてしまったような節があったので、いまいちピンと来なかったけど。でも、ずっといっしょにいる人から見たらちょっとは戦えるようになってるのかなあとなんとなく思った。

・明日からの人生も楽しみ!

3/1-3/15

3/6(水)雨のち曇り

・最近デトックス欲求がすごくて、服捨てたり、本売ったり、SNSのアカウント消したり、スマホの連絡先削除したりしまくっている。いらない物、感情、記憶ばっかり溜め込んで、スペースがもったいなかったから。感傷を引きずって自分のことをいじめるのが好きだったけど、そういうのはいったんおやすみ!

・今日から帰省。お正月はつわりが酷くて帰れなかったから、ひさしぶりに家族の顔を見に行く。身軽でいたくて、今回は珍しく一冊も本を荷物に入れなかった。実家にも本や漫画はたくさんあるから、読むならそっちにする。

・寒いのでマフラーを巻いた。白いコートの袖から赤いセーターが見えるのがかわいくてお気に入り。鞄も赤いポシェットにした。ブローチは金色のリボン。

 

3/8(金) ちょっと雪 おおむね晴れ

・実家でごろついている。カレンダーに書かれた「一人倹を知れば 一家富む」「命を大切に 世に命に値するものなし」などの言葉にいちいち立ち止まってしまい、感性のキズを感じた。

・子どもの頃使っていた部屋から未読本を何冊かピックアップしてちょこちょこ読んでいる。如月小春『都市の遊び方』おもしろい。40年近く前に書かれた東京のガイドマップ的エッセイ集だが、いま読んでもさほど古びた印象を受けず、普段目に映している光景にそのまま重ねて噛み砕くことができる。ところどころ時代を感じる部分ももちろんあるけど、一定以上発達した都市の暮らしって意外と変わらないね。

 

3/10(日) 晴れ

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・夫に回収されて同県内に住む義実家へ。年始の挨拶がまだだったのと、妊娠の報告を直接したかったのでこのタイミングで訪ねることができてよかった。お菓子いっぱいもらった。

・今回の帰省で驚いたのは、知らぬ間に祖父母が老人ホームへ入居していたことだ。その前段階として祖父が夜中に倒れたりもしていたのだが、私の体に障ることを考えてあえて言わなかったらしい。体力、体調の面から考えて長距離の移動は不安もあったが、やっぱりたまには実家に顔を出したほうがいいと感じた。

・18時頃、無事東京の自宅に戻る。

 

3/11(月)晴れ

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・お昼ご飯に近所のお店でインドカレーを食べた。妊娠してから味覚が変わったため、甘めのチーズナンが以前より美味しく感じる。ひさびさに来たので食べ切れるか不安だったけど、意外と瞬殺だった。

・つわりは終わったはずなのだが、いまだに満腹・空腹の感覚が戻らない。毎度、「なんか気持ち悪いな」と感じてはじめて自分がいまお腹空いてるのかどうか推理し始めるような感じだ。今日もお昼過ぎ頃からなんとなくずっと胃腸の不調があり、なんだろうなあ、朝ご飯のパンがまだ消化不良で残ってるのかなあ、などとぼんやり考えていたのだが、インドカレーを食べ始めたら途端に治ったのでそこでようやく「あ、お腹空いてたんだー」とわかった。

・それで食べたら食べたで今度は自分のキャパが認識できずに食べ過ぎてしまい、胃もたれになることもしばしばなので、ほんとうにいつなにをどのぐらい食べたらいいのかわからなくない。自分の胃腸と意思疎通ができない。産むまでつわりで吐く人もいるというから、それに比べたらまだ軽いほうなのだろうけど、まあ辛いな。

 

3/13(水)晴れ

・妊娠してからなにかにつけやる気がない。料理をしたり、たまに本を読んだりするぐらいで、あとはたいていベッドの上にいる。仕事をしていない身で時間は無限大にあるはずなのだが、何かをやりたい!という活力やアイディアが根こそぎなくなってしまった。体調が万全ではないのもあると思うけど、それだけじゃなくて、なんか心のほうが変わっちゃったな。あと眠い。ひたすらに。

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・昨夜大量に作り置きしておいた"なんにでも変身できる万能ミートソース"を活用して、キーマカレーを作った。美味しい。最近また太ったので夕飯は19時までに食べることにした。

・私の体重だと、妊娠期間全体で10〜13キロ増やしてもいいことになってる。なってはいるが、もともと標準体型ど真ん中なのにそんなに太っちゃったらさすがにどうなるんだろう……と不安だ。着られる服なくなりそう。そしてそう思う一方、制限内で体重増加を抑え込める自信がない。

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・これは昨日の晩御飯のタコライス。お肉の中ではひき肉がいちばん好きだ、と夫に言ったら「牛とか豚じゃないんだ」と笑われたけど、同じひとけっこういそう。

 

3/14(木)晴れ

・夫がホワイトデーのお返しにスノーボールクッキーを手作りしてくれた!お菓子作りは人生初と言っていて、嬉しいな。36年生きていて初めてのことってもうあまりないもんね。もったいないのですぐには手をつけず、今夜は飾り棚の宝物たちといっしょに並べておく。

初盆

 昨年の夏、母方の祖母の初盆があった。慣れない法事だ。酷暑ということもあり、どうせ身内しか来ないから喪服は用意しなくてもいいと言われたが、なんとなく気になったので手持ちの中でいちばん黒いワンピースを着ていった。それで実際他の家族がどんな格好をしていたかは忘れたが、少なくとも母は普段よりきれいな格好をしていたような気がする。となると、父親や弟もワイシャツぐらいは着ていたのだろうか。覚えていない。弔問客の中には八月の最中だというのにスーツ姿で来ていた人もいて、ちょっと驚いた。でも、考えてみればそういうものなのかもしれない。私はこの歳になるまで身内の死を経験せずに生きてきてしまったので、法事にまつわる常識がいまいちよくわからない。

 

 家族の中で唯一、妹は第二子の出産を間近に控えており来なかった。振り返ってもこの時の写真が一切出てこないのはおそらくそのせいだ。いつもは幼い姪っ子が大人たちの間をちょこまか駆け回り、場を和ませてくれていたが、それがなかったために終始色彩を欠いたような雰囲気が漂っていた。

 

 とはいえ私も別に義務感だけで法事に顔を出したわけではない。昔ながらの亭主関白だったおじいちゃんのことはあまり好きではなかったが、妻に先立たれたとあってさすがに弱っているのではないかと思い、心配もしていたし、第一に、肝心のおばあちゃんのことは大好きだった。たくさんお世話になった思い出もある。それがふとした拍子に何かでこじれてしまい、子供っぽい意地からしばらくこの家を遠ざけていたことをいまさら悔やみたくなる気持ちもあった。

 しかしそんなことは思っていても口に出せるものではない。

 私はそんな感じだし、父も弟も無口な中で、母だけがおじいちゃんや叔父さんを相手にいつまでも何かをしゃべり続けていた。我が家はずっとこんな感じだ。

 

 おじいちゃんはおじいちゃんで、歳をとってからよくにこにこしていることが増えていた。昔はもっと厳格な雰囲気で、不機嫌そうな顔をしてることが多かったのに。煙草の吸い過ぎで肺を悪くしてからというもの、だいぶ性格が丸くなったようだ。いいことのようでいて、私はなんとなくそんなおじいちゃんを見るのがイヤだった。頑固だったはずのおじいちゃんがそんなふうに簡単に老いを受け入れているのを見ると、なんだか泣きたくなる。

 

 お坊さんが帰った後、みんなで居間に引っ込んで昔のホームビデオを見ることになった。法事であっても変わらずにこにこ顔のおじいちゃんが言い出したことだ。しかもよく聞くと、特に私に見せたいと思ってわざわざ今日のために引っ張り出してきたらしい。

 そう聞いてまず頭に浮かんだのは、幼い頃の自分が妹と音の出る貯金箱で遊んだり、祖父母の家の周りで飛んだり跳ねたりしているところだった。そういう内容のテープだったら成長してからも何度か見せてもらった記憶がある。

 しかし実際におじいちゃんが見せてくれたのは、二十年以上前に祖父母宅の新築祝いをした時の映像だった。どこかのタイミングでビデオテープからDVDに焼き直したらしいその情景は、かなり古ぼけていて、中にいる人たちの顔だけが新しい。今もある二階の部屋に二、三十人の親戚や知人友人が集まって、楽しく食事をしながらカラオケ大会を開いていた。中央に置かれたカラオケの機械から古い演歌や歌謡曲が次々流れる。なんとなくその歌詞に注意を払ってみるとそれが意外と不倫の歌だったりするのだが、昔はそういうものだったのだろうか、みんな親戚の前だろうと気にせず真剣な表情で情愛を歌っていた。

 

 そんな光景の、ほんとうに隅っこの方に生まれたばかりの私がいた。真っ白な服を着て、父親の腕の中でうたた寝をしている。はっきり言ってあまりかわいい顔ではなかった。へちゃむくれというか、赤ちゃんなのにどこかおばあちゃんっぽいのだ。

 だけどそれでもなんとなく、自分ではない何か尊い別のものがそこにいるような感じを受けた。近くのレースカーテンから初夏の光が差し込んで、とても気持ちよさそうだ。

 

「ここに映ってる人たち、もうみんな死んじゃったね」

 

 ビデオを見ながら母が言った。画面に映る人が変わるたび、どんな人だったかとか、なんで死んでしまったのかとか、とにかくいろいろ話してくれるが、私が覚えている人はほとんどいない。

 でも、そう聞いてなんとなく痛切に感じるものがあった。

 基本的に、身内というのは特別なことが起きない限りどんどん減っていくものなのだ。歳を重ねれば重ねるほど、自分にとって大切なひとや、深い繋がりを持った他者の数は少なくなっていく。ビデオには当然、元気だった頃のおばあちゃんも映っていた。

 

 最後に映像が切り替わる。今度はぜんぜん別の場面で、歩けるようになったばかりの私が一生懸命立ちあがろうとしているシーンだった。顔はほとんど泣く寸前で、かなりめちゃくちゃだ。やっぱりかわいくはない。画面の外にいるおばあちゃんの笑い声が聞こえた。

 

「どうだい、自分がこんなに価値がある存在だって思ったことなかっただろ。な?」

 

 全部見終わった後、おじいちゃんが私に向かってそんなことを言ってきた。やっぱり笑顔で目が細くなっている。そのせいで余計に逃げ出したくなった。悪さをして怒られた時なんかより、ずっとなんて答えたらいいのかわからない。歯切りの悪い返事をしながら頷いていると、おじいちゃんは繰り返し何度も同じことを言ってきた。たいへん居心地の悪い時間だ。仮におじいちゃんが伝えたかったことをほんとうの意味では汲めてないのだとしても、私はそれ以上のことを強く感じ取ってしまっていた。そしてそれはこんなに心の距離感が空いた関係にはそぐわない内容のことだ。

 

 私は新しい命だった。

 

⭐︎

 

 それから半年経ち、妊娠が判明した。もともと子どもは好きだし、いつかは欲しいと思っていたのでものすごく嬉しかった。しばらくはつわりの症状が酷く、ベッドから起き上がるのさえやっとという状況だったが、それでも日々お腹の中で子が育っていると思うと幸せ以外の何者でもない。普段は歩くだけでも吐きそうなコンディションなのに、病院で赤ちゃんの無事を確認するとその直後だけ元気になってしまうので、夫には通院のたびに笑われた。

 

 横になって何もできないでいる時間はたいてい、病院でもらったエコー写真を眺めたり、育児関係の本を読んだりきて過ごす。他にもいろいろとやりたいことあるはずなのに、不思議とそんなことしかできなかったし、やる気になれなかった。来る日も来る日も苦しみながら赤ちゃんのことばかり考えて、私は自分のアイデンティティがゆるやかに破壊されていくのを感じた。自分は腹で子を育てる動物であり、それ以外の人間らしいエッセンスは消え失せてしまったのだと思った。私の惨状を見て、だいたい夫も同じようなことを口にした。しかしそれでもまあ、良かった。苦痛だとしても耐えられるだけの理由があったからだ。

 

⭐︎

 

 二月に入り妊娠初期の終わりが見えてくると、少し体調が良くなって、活動的に動き回れる時間も増えてきた。でも、相変わらず世界の中心は赤ちゃんだ。元気になったらアフターヌーンティーに行ったり、ひとりで映画を観たりしたいと思っていたのに、いざとなると真っ先にやりたくなったのはベビー用品を手作りすることだった。おそろしい。おそろしいと口では言いつつ、いま人生でいちばん楽しみなことは赤ちゃんのお世話をしたり、離乳食の献立を考えたりすることなのだ。止められない。

 

 そういう自分を冷静に振り返ってみると、母親なんてつまらない生き物だなあと思う。これまで好きだったこと、積み重ねてきたこと、自分らしい要素を全部二の次にして、別の名前の何かに進化しようとしているような気さえする。昔はこんなふうになってしまうのが嫌で、母親向きなタイプだと思われることすら苦痛だったが、実際いまの私は平凡になることを進んで受け入れていた。

 

 このまますべてが順調にいけば、夏の終わりにはかわいい赤ちゃんに会える。いまはそれだけが幸福の光だ。私はなんの迷いもなく新しい命を生む。

生きログ

 年が明けた。2023年はありとあらゆる面で満足のいく成果を得られた良い一年だったと思う。

 

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(2023/12/10)

 

 第一に、独学で保育士資格を取得し、大学中退以来ずっと悩み種だった「何をしてお金を稼いでいくか」という問題に決着がついた。それ以前もずっと子供関係の仕事はしていたのだが、これでようやく自分の内部に芯が通ったような気がする。まだまだ未熟ではあるが、日々子供たちの笑顔に癒されながらやりがいのある仕事に就くことができ、幸せである。資格があることによって賃金が明確に上がったことも大きな喜びのひとつだ。

 

 私は社会に適合しにくい気質を持っていながら、1日8時間もかけてやりたくないことをやるのはどう考えても損だと思い、なかなか「仕事は仕事」と割り切ることも出来ずにいたので、きちんと心から愛せる職業に出会えるかどうかは人生で一、二を争うぐらい重要なテーマだった。

 細かいことを言うとそれでもやっぱり8時間は長いから将来的には6時間ぐらいにしたいとか、職場の誰それの言動が冷淡で気になるとか、いろいろあるが、大まかなところで「何を仕事にするか」という部分はもう今後あまり動くことがないと思う。

 

(2023/12/03)

 

 次に嬉しかったのは10代の頃からずっと憧れていたロリィタ服を着られるようになったこと。

 

(2023/06/23)

 

 去年帰国したばかりの時に立ち寄った地元のAngelic Prettyで、とあるワンピースにひとめぼれした瞬間のことはずっと忘れない。旅行が私に勇気をくれたのか、もうこれ以上やりたいこと、ドキドキすること、心ときめくことを先延ばしにするのはやめよう、とようやく自分に誓うことができた。それから手に入れたワンピースはどれも特別で、鏡の前で見つめ返すたびに恋しているみたいな気持ちになれる。今年、私は私に人生を楽しむことを許可し、やるべきことよりやりたいことを優先して行動するよう命じてきたが、その結果得られたいちばん美しい果実こそこのフリルとレースとすてきなものでいっぱいの世界である。それは服以上の存在だった。

 

(2023/08/10)

 

 ロリィタを着るようになって服飾というもの全般に強い興味を感じるようになった。その流れで始めたのが手芸だ。お気に入りのワンピースに合うちょっとした小物を作ったり、手縫いでスカート作りに挑戦したり……もともと細かい作業は好きな方なので、とても楽しかった。昨年末にようやくミシンを手に入れたので、2024年はもっと本格的に服作りを始めていこうと思う。

 

(2023/12/11)

 もうひとつはこの前書いたばかりなのだが、私家版の詩歌集を作った。金森さかなという筆名でいろいろ書いたりするようになってからけっこうな月日が経ち、この辺で初期の作品をひとつにまとめあげたいとずっと思っていたので、ようやく形にすることができてよかった。ただその反面、昨年は実作のほうがほぼストップしていたので、ここをひとつの区切りとした上で今年こそはもう少し短歌や詩と向き合う時間を作りたい。

 

 というわけで、2023年は非常に充実した良い年でした。ありがとう!

 

 

 などと言ったそばから数年ぶりにひとりでお正月を過ごすかんじになった。本当なら今頃実家の炬燵にどっぷりつかっている予定だったのだが、事情があって私ひとりだけ帰省を差し控えなくてはいけなくなったのだ。夫は昼頃に家を出た。しかしまあ、それならそれでいいや、映画でも観るか、と諦めてパソコンを立ち上げたところ、なぜか無性に長文を書きたいムードが去来してしまい、この段落に至る。

 

 というのも、最近考えたことのひとつに、Twitter(X)の終了に備えてもっとブログベースで記録を残すようにしたいな、というのがあった。何かすごく時代遅れな話題をいまさら口にしているような気もするが、個人的に大切な話なのでこのまま続ける。

 

 私は自分がどのようなことを考え、何をして生きていたのかいつか全部忘れちゃうのが怖くてTwitterをやっていた。が、そもそもこの動機からして、次から次へと新しい情報が流れ、古い情報は埋もれていく一方のTwitterとは相性が悪い……、というのは昔から感じていた。それでも簡単に呟ける手軽さがありがたいからと続けてきたが、近年の運営側の動きを見ていると、いつこれまでの蓄積がすべて吹っ飛んでしまうかもわからず、いろんなことが無性におそろしい。まあそれは何らかのデータベースに依存している以上避けられない不安感ではあるのだが、それにしたってという話だ。

 

 そういうことが昨夜急に気になりだし、寝る間際まで頭から離れなかった。だから今日もブログを書いたのだと思う。私はいま紺色のベッドの上にいて、枕元には読みかけの本が10冊以上散乱している、最近一番読む頻度が高いのは遠藤周作の『マリー・アントワネット』で、この休みの間にようやく下巻まで話が進んだ、ルイ16世の人柄が好きだと思う、なにかそういうことを全部忘れないでいるために、今年はもっとブログを書くようにしたい。日記帳も。

PIKA PIKA(所感、また詩の目的するところについて)

 金森さかなの第1作品集『PIKA PIKA』の通販ページを公開しました。

 

 

https://osakanamarket.stores.jp/items/65611421a625e86e7d373afa

 

 全178ページ、送料別1200円。なかなか厚みのある1冊です。2020-2022年に詠んだ短歌や書いた詩を主に収録しています。

 詳しい目録などはリンク先に書いてありますので、そちらをご覧ください。

 ここでは私家版詩歌集を出すにあたっての所感、振り返りを述べます。

 主はあくまで作品そのものであり、本に刻まれている一字一字なので、別に読まなくても構わない記事です。後書きです。前書きでもいいです。要は何でもいいということです。

 

 

 夏に自分用のサンプルが仕上がってから、けっこうな時間が経ってしまった。

 すべてのページにカワイイシールを貼ったり、お気に入りの歌にマーカーを引いたり、隅っこにいまさらながら気になったことをメモ書きをしたり……、そうやって自分の本で遊びながら、誤字脱字がないかの再チェックも行った。たくさんの手間暇がかかってしまいなかなか大変だったけど、好きなだけ自分の言葉と向き合えたので、ただただよかったなあと思う。

 

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 おかげでどのページも全部かわいい。

 

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 表紙もかわいい。

 

 私がこういうことをやろうと思ったのは、まあ単純にそうしたらかわいいから、というだけの話でもある。もともと手書きで日記を書いたり、それをデコレーションしたりするのは好きで、ずっとやっていたので、その延長線のような感覚はあった。

 というのも、どうも私は自分の詩歌と日記をほとんど等価の存在として自分の中に位置づけているらしい。

 短歌をやっているとよく「わたくし性」という言葉に出会うが、私の場合はおそらくこれが特に強い作風だ。もちろん短歌や詩を書くときはある程度作為を働かせるし、個人的に書いている日記に比べたらそっくりそのまま等身大の自分という訳にはいかない。だがそうした"程度の問題"を抜きに考えた場合、やはり私は常に私の話をし、私の感情や体験を表現している。

 

即日のエイズ検査が陰性でやったねという名の海老よこせ(『21歳』/やまだわるいこ)

かけがえのないおじさんを守りたい地球最後の海老をほぐそう(『ヴァーチャル・春の海』/金森さかな)

 

 短歌を始めたばかりの頃、「やまだわるいこ」という筆名で活動していた。上に挙げた歌は、第1回石井僚一短歌賞で次席をいただいた連作のなかの一首だ。

 石井僚一氏といえば第57回短歌研究新人賞を『父親のような雨に打たれて』で受賞後、作中で亡くなった父が実際には生きていることが話題となり、そのことをきっかけにさまざまな議論が巻き起こった。短歌における「虚構」と「わたくし」問題である。

 当時私の作は現在よりもはるかに技術が磨かれておらず、知識も乏しかったため、かなり素直に「わたくし」方向へ振り切っていた。あまりにもそのままのことを言いすぎていて振り返りたくないような歌が連作の大半を占める。「虚構」、あるいは自己批評性、そういったものがほとんど何もない。

 だからそのような両極の議論の渦中にある方がこの連作を評価するのは、いまにして考えてみれば妙な話だった。当時ウキウキしながら賞の発表誌(『稀風社の貢献』)を読んだところ、やはり氏は選考委員の方々のなかで最も厳しい評を述べられており、悔しいながらもさもありなん、と感じたことを今も鮮明に覚えている。

 

 賞のこと、引いては創作活動全般とは関係なく、当時は精神的にギリギリの状態が続いており、「やまだわるいこ」としての活動は辞めてしまったが、あれから八年近く、ずっとこのことを胸に残したまま作歌を続けてきた。自分の中の無批判な態度や「わたくし」が強すぎる作風と闘い、実験的なこともいろいろやったと思う(私にしては!)。今回の作品集にも収録している『ヴァーチャル・春の海』や『吹きさらしのクマ盗難計画』はその一端だ。

 

 しかしいろいろ試行錯誤を重ねた上で改めて感じるのは、先にも書いた通り、自身が持つ「わたくし」の強さである。けっこう捻ったり嘘をついたりしていても、読んだ人には「素直な表現」なんて言われてしまう。そのぐらいストレートに「わたくし」が出やすい。

 これはもう受け入れるしかないなあと諦めつつ、自作の方向性を決定づけた出来事をもうひとつ思い返してみる。

 

 

 大学生の頃、衝撃的な出来事があった。毎回違った教授が自分の得意分野の入門的授業を行うオムバニス形式のコマで、ある日、ものすごくかっこいい白髪のおじいちゃんが登壇する瞬間を見たのだ。私はそのとき先生の長い髪を留めていたヘアゴムが蛍光イエローであったことを今も覚えている。

 先生は言った。「自分が好きな作品をどんどん掘り下げる。好きな作家が影響を受けた作家、さらにはその作家が影響を受けた作家……と繋げていくといちばん最後はどこへ辿り着くと思う?」幸運にも指さされた私は「古典作品」と答えた。しかしそれを聞いた先生は、「それもひとつの答えとしてはそうだ。でもいちばんは『自分自身』だよ」と言ったのだ!

 私は雷に打たれたようだった。

 大学入学以来、いろんな先生から「教養として本を読むことの大切さ」を解かれてきて、少々げんなりしていた心に風穴があいた。それからというもの、私はちょこちょこお勉強もしつつ、基本的には自分の趣味を最優先した読書を続けている。自分自身の真実にたどり着くために!

 

 それでその先生がたまたま現代詩の研究をしている方で、詩のゼミをやっていたから、私は詩を書き始めたわけだ。それまでは詩なんか読んだこともなかった。そう考えてみると私はひとめぼれによって詩を書き始めたようなものである。まあその話を詳しくすると脱線になってしまうのでよしておくが、なんてロマンチックで軽薄なんだろうか……。

 

 

 先生はまた、「本は汚しながら読みなさい」ということもよく言っていた。そこに書かれている言葉を自分の血肉とするために。

 今回、自分の作品集にシールを貼ったりしたのは、単に「かわいいから」というだけではなく、そういう影響もあった。繰り返し読み返しながらラインを引いたり装飾を施したりするする過程で、私は私の言葉を、感情を、丁寧に見返し、自分の中にもう一度内蔵したかったのだろう。

 

 

 つまり書く場合にせよ、読む場合にせよ、私は自分自身にたどり着くため、自分自身の魂を癒すためにその営みを実行している。あまりにもわたくし本位すぎて横暴だと感じる人もいるかもしれないが、そうでなければ他でもない「わたし」が書く意味、読む意味は感じないのだ。

 

 しかし考えて欲しいのは、これはあなた方の立場に置き換えてもそうだということ。私はこうして言葉と向き合うときの自分の態度にこだわっているが、その反面、表現した内容そのものに執着し独占しようとする気持ちはほとんどなく、むしろそこは完全に手放している。

 

 私は、私がこれまでいろんな言葉や芸術に対してしてきたのと同じように、この詩歌集も各々好きに読んで、好きに解釈して、私の言葉をあなた方のものにしていただきたい。私は徹頭徹尾私のためだけに、私の魂のためだけに詩を書いているが、その営みの果てにどこかで誰かとつながることを信じている。「あなた」の先に「わたし」がいたのと同じように、「わたし」の先には必ず違う誰か、「あなた」がいるのだ。

 本の中で「わたし」と「あなた」が出会う過程で、お気に入りの歌に線を引いたり、シールを貼ったりしてくれるならとても嬉しい。

 

 なんだかつらつらと偉そうなことを書いてしまい、上手く伝わるかどうか不安ですが、手に取っていただいた方にはお楽しみいただければと思います。

 

 

(2023/12/11)

救われえぬもの、地球カバーを編む

 秋だなあ。

 

 明け方頃ふと目を覚ますと、外は土砂降りの雨だった。空気はひんやり冷たく、静かで、暗くて、なんだかありえないようなうつくしさが部屋中を満たしている。

 その効果なのか、トイレから帰って二度寝するとそれはそれはきれいな夢をみた。細部までは覚えていないが、お気に入りの服を脱ぎ棄てて、裸のままピンクの天鵞絨のカーテンで囲われた部屋を行き来していたような気がする。周囲には人影もあって、そんな中何も身に着けていないのは気になったが、誰かに直接「醜い」と言われても焦ってどうにかしようとは思わなかった。夢のなかの私は心が丈夫だ。書いた覚えのない詩がいくつか出てきて、林檎の心臓を持った木馬、というフレーズだけ現実に持って帰ることができた。

 

 私はもともと夏が大好きで、寒いのなんかはかえって苦手なため、いつもこのぐらいの時期になるとなんとなく切ないような、苦しような、それでいて半狂乱のような気持ちになることが多いのだけど、今年に限っては猛暑がよほど堪えたようで、秋の到来がとても喜ばしかった。

 

 

 そのあともう一度起きて外を見てみると、雨はまだ降り続けていた。もう朝の九時なのに光は暗い。でも、涼しくて気持ちが良かった。それに今日は休みだ。

 夫に「水じゃなくて牛乳で焼いた方がきっとおいしいから、今日はやめておこう」と言われ続け、長らく一袋だけ余っていたホットケーキミックス(牛乳がそんな都合のいいタイミングで家にあることはない)を開けてホットケーキを作ると、思っていたよりもちゃんとあまく、ふわふわ仕上がって美味しかった。「水でも大丈夫だったね」「牛乳じゃなくてもこんなにおいしいなら、常備してもいいかもね、ホットケーキミックス」と話しつつ、夫が淹れてくれたコーヒーを飲む。

 なんだかとてもまるくてたいらな気分だった。これもぜんぶひんやりした空気のおかげだ。

 

 天国までいけちゃうぐらい弾けて飛んでいられる夏、が終わってから次の夏が巡ってくるまでの、その間にあるすべての季節と時間を、これからはずっと愛していられる、という予感で胸がいっぱいだった。

 

 

 この前電話した友だちに、大きな絵を描く話の進捗はどうなっているのか、と聞かれ、思わずドキッとした。春ごろから夏にかけて長編小説を書こうといろいろ計画していたのだが、結局うまく筆がのらず、人知れず挫折していたのだ。それでゴニョゴニョ言い訳のようなことを口走った後(そんなことをする必要はないのに)、「別の方法で魂を救おうと思ってる」と、私は言った。

 

 というのも、地球カバーを編もうと思うんだよね。

 -えっ地球カバー?

 そうそう、最近手芸にハマってて。毛糸で編むか、布で作ろか迷うんだけどね。パッチーワークってあるじゃない。あれで地球全部を覆うぐらいのでっかい布を作ったらかわいいかなって思うんだ。

 -かわいいって地球が?

 うん。私の知っている、見える世界が全部かわいかったら、きっとこの魂も救われると思うの♪

 

 この会話は全部妄想だが、手芸にハマっているという話だけは真実だ。ここ最近は短歌からも詩からも完全に遠ざかり、針と糸を駆使してティッシュカバーやブックカバー、鍋敷き、リボンカチューシャ、お買い物かばんなどを作ることに熱中している。手先が不器用なのとおおざっぱな性格が相まって、出来上がった作品はどれもかたちがいびつだったり、想定していたよりもサイズが小さかったりするのだが、自分が丹精込めて生み出したと思うとそれだけで愛おしく、見つめ返すたびにうっとりしてしまう。このような効果を俗にイケア現象( 自分で作った物の価値を本来よりも高く感じる現象)というらしいが……、物のqualityとは関係なく、ただ自分との関係が深いから、というだけの理由でこんなにも何かを愛せる、というのは大きな発見だった。

 

 そして、だったらもっともっと手作りの物を生活空間に増やしていけば、おのずと日々の幸福度も急上昇するのではないか。

 

 視界に入るすべてのものを私が選んだ色、私が選んだ柄、私が選んだ形で埋め尽すことができたら、きっと世界はとんでもなくかけがえのない、あいすることしかできないすばらしい空間になる。

 

 その流れで電光石火のごとく思いついたのが、地球カバー、だった。

 地球をまるごと私の手作りで覆いつくすことが出来たら、きっと私は地球をあいすしかなくなる。それはきっととても愛おしい地球。そう、私にとっては、だけど。これはまさに、世界征服。

 

 

 というのは冗談だとしても、やっぱり今の私に必要なのは生活を地道に手作りしていくことだと思った。その結果魂がすくわれるかどうかはわからない。だが、心の安寧ぐらいは確実に得られるだろう。

 

△さかなちゃんお手製の鍋敷き

 

 幸せでいたい。