退屈

2:54 カーテンはまだない 狭い台所で 誰とも心が通わない時間を待っていた 9階から見降ろす街は どこかに病院を宿している あちこち散らばる青い非常灯 白すぎる廊下の影 鼻を刺激するアルコールの匂い そういったものたちの羅列 こんなところに教会を産まな…

いつまでも夢にならないひとがいる 冬の入り口 つま先立ちで生きたい情動 濡れた砂浜が鏡みたいに反射して わたしの胸を あまく 突き刺す 果てはなかったの けっきょく辿り着いてしまう、海 買い手がつかないまま枯れた花を 窓しかない部屋に飾ってた 笑い声…

birth

生まれ変わったらあたし、歯医者になるの あなたの口に指を突っ込んで できるだけやさしくエナメル質に触れたい 生まれ変わったらあなた、ふかふかの毛布になってね そしたら素っ裸になって 年中その温もりだけ求めて過ごすから 生まれ変わらなくてもあたし…

さようなら、犬

なにもいらない なにもいらないよ 今日は 食卓に薔薇なんか置くな クリームチーズは食べたくない 赤いベレーもかぶりたくない だいすきなあの子がやってきて 真冬のミルク 夏の金色を差し出しても きっとぼくは追い返す このままどんどん動けなくなって この…

決して追いかけるな

次に喧嘩をしたら 新幹線に乗って大阪まで行けって あなたが言ったから さっそくわたしは背中を向けて いつもの駅を目指すことにしました キッチンでお静かにしている じゃがいも入りのバターチキンカレー 宝石みたいなぶどうのゼリー あなたに全部食べられ…

左へずれる

バタークリームの塗られていない肌 鏡が消えた国境沿い 運ばれていく身体は ただそこに在る身体だった 揺られているのは猫の天ぷら いつかわたしから逃げたもの 肘から手首 手首から薬指の先 繋がっている不思議について 考え そして眠りに溶けていく 重すぎ…

追いかけたい

あの頃は 病気の一環として人を好きでした 愛ではなかったとおもいます だからチューペットが砕けた瞬間 あ と思って飛び降りました 騒然としてほしい教室 死んだあとの夕焼け 長い長い落下は 気持ちがよかった あんなものを恋だと認識するぐらい わたしの夏…

ケーキ屋さんにGO

欲しいものがいくつかあった 世間はピカピカしていた 飼い主をひっぱる子犬 はだかになった柘榴の木 蜂蜜酒をかけられて 酔っ払ってるバニラアイス バーカウンターの向こう側は 五右衛門風呂の話で 賑わっているようだ ここにいると 心が ドラム式洗濯機にな…

生きることに栞をくれる喫茶店 で あなたがしたことを考えていました 白百合の花粉で手を汚すのは もうこれきりにしたかったの ずいぶん若いんだね あの青年実業家 あの家の猫 あの子 そういって ゆっくり瞬きをしたかった 春 世界地図をひらいて すべてのと…

宇宙の瘤

魂の 整形手術を受けました たとえば 真夜中のバス停で 殺しのアナウンスを聞いているとき 世界はトレーシングペーパーによって 無限に転写され続けている あなたと私 から 私はあなた に移行した王国で 土砂降りの音のスコール ゆっくりくぐり抜け 何度もこ…

やさしい類義語辞典

丸いピンクのマグカップに 淹れたての珈琲を注ぐ あるいは チーズケーキを十六等分にしてみる いまこのフロアにいる人数分 作りすぎちゃった肉じゃがは いつだって近所におすそわけだし エプロンのポケットは 転んでしまった子に渡す ミックスフルーツ寒天で…

float

神様がいない世界って 親がいない金曜日の夜みたいだね あなたと過ごす週末は 時々 大きな声で笑いすぎる 花瓶を倒して気まずくなるよりは ずっといいかんじだけど でもね BIGサイズのポテトチップスと ストローをふたつ刺したコカ・コーラ 脂肪まみれのピン…

鈴虫

虫のいのちを 一途にやっている あたらしい 薄緑色の石鹸を 粉付きの紙包から取り出すとき カサカサと 微かな音がした それを 耳の奥に閉じ込めたまま あなたがいる寝室へと向かう まあるく窪んだ足の裏が ふたつ 笑いかけているようだったので 壊さないよう…

破損

透明な葡萄皿を泡立てながら おい おまえはいつ割れるつもり? と問いかけてみる 水の温度が下がったので それを返事と仮定して カステラのあまいにおいが充満する 食器棚に そっと 寝かせてやると ひとすじの光るしずくを流して おまえは死ぬのが怖いんだと…

さかなちゃんのすべて

さかなちゃんのからだは 海を知っている 深く深く 潜ったこともある さかなちゃんのからだは シンガポールの夜を 一度 通過したことがある さかなちゃんのからだは ほんのすこしのコーヒーで いつでも おかしくなれる でも あなたは知らなかった さかなちゃ…

石の魂

誕生の朝 ちいさな箱をもらった そっと中を開けてみると まっしろな綿毛を台座にして ちょうど真ん中のところに まるい つるつるの みょうな石ころが置かれている 図書館にはたくさんの子どもたちがいて みんな裸のまま ころころと犬のように じゃれたり ね…

恋がしたい

もうずいぶん長いこと 髪を切っていないのでした だからなのか 去年の夏ほど わたしは乙女の顔をしていない 目つきがちょっぴり鋭くなって 全身から 骨という骨が 消えてしまったみたい 窓の外ではいろんな種類のむらさきが すみれが あやめが 藤の花が いま…

マーマレード・ジャムを買いに

わたしの魂を飲んでください と天使が言ってきた なんだかずいぶん鋭い耳だ 齧るとちょっと 食パンみたいな 味がする けっこうですと断ると 天使は残念そうな顔をして そうですかと言いながら 砂になって消えてしまった

夏の裂け目

あなたでないのなら 誰でもいいと思いました 放っておけば きっと そのうち 風化してしまうことが どうしても許せなくて 染みひとつない痛みが 永遠に忘れられない痛みが あなたを理由に感じる痛みが 鮮明な痛みが どうしても必要で 死んでしまった恋へ すべ…

夢見る魚

ようやく鮭に生まれ変わったと思ったら ここはまあるい缶の中 フレークなのでした 身を切られ 三枚にも 四枚に卸されて 色が変わるまで茹でられたあと 丁寧にその肉をほじくられ いくつもの いくつもの欠片に ばらさてしまったわたしたちは 塩気がきいていて…

みどりの亡骸

鶏小屋のみどりの扉をひらくと まだ幼い妹の死体が 血も流さずに横たわっていたので わたしは 白すぎる太陽を背に 草むらの上へしゃがみこみ 二回だけ まばたきをしてみた 冷たくなってしまった妹は あいかわらずやわらかなままで 動物たちの鳴き声を聞いて…

他人の死

大切なひとが 何人か死んだ 街路樹の濃すぎる青を 蛇口から流れる水の不透明さを 旅客船設計図の精確さを 百合のように垂れ下がった老人の頭を わたしと同じ目線に立って わたしと同じだけの重さを持って そういうものを大切にしていたひとが この世から消え…

鬼とひよこ豆

わたしの上司を ひとは 鬼と呼ぶ 本人の前では言わない かくれてこっそり そう呼ぶ わたしも あのひとに仕事を教えてもらったの それぞれにいいやり方があるってね ちょっとこわいけど 尊敬しているの そんなことをいいながら みんなどこかに隠れてしまう 怒…

みんな知っている

欲しいものを全部買った 魔よけのための鏡 知らないひとの夢日記 レースで編まれたコースター 丸ボタンがついている あずき色の冬物コート あの子にあげるリボンの髪飾り 財布がとても軽くなった おさつも小銭もどこかに消えた やつらはすばしっこくて 逃げ…