ロマンスグレーにあこがれて

 どうしてもかなえたい人生の野望があります。それは、たった一度でいい、すてきな老紳士と恋に落ちることです。

 なにもいますぐにとは言いません。私はまだ二十歳そこそこのお子様です。少女性溢れる若い女性と孤独な老人のラブロマンス……、というのもまあ悪くはありませんが、あまり現実的ではないですし、バランスがよいとも思えません。おそらく、いまの私では老紳士と呼ばれるような人物と並んでもつり合いが取れないでしょう。少なく見積もっても、あと二十年ほど年を重ねる必要性があると考えています。

 でも、だからといってそれまでの間ぼんやりしていていいわけではありません。すてきな老紳士と釣り合う成熟した女性になるためには、様々な努力が必要です。

 私が将来恋するであろう男性は、きっととても教養深いお方ですから。例え興味がなくとも、有名な芸術作品はすべてチェックしなければなりません。映画に文学、美術、クラシック音楽まで。なんでも詳しく話せるようでないと、きっと退屈されてしまいます。それに、ただ知識があるというだけではなく、きちんと自分の言葉でそのものの良さを説明できるようでないと駄目だと思います。私の老紳士は決して上っ面だけの言葉に惑わされたりしないひとです。

 また、汚い言葉遣いやだらしない姿勢は嫌われる原因になることでしょう。人としての基本的な部分がきちんとしているひとでないと、彼の前で堂々と振る舞うのは難しい。

 さらにその延長線上で大切になってくるのが、食事のマナーです。もしおしゃれなレストランに連れていってもらって、頓珍漢な食事作法を披露でもしたら相手に恥をかかせてしまいます。

 何より重要なのは、気品というやつでしょう。でも、これがいちばん難しい。一朝一夕で身につくようなものではないですし、そもそもの話、気品の正体ってなんなのでしょうね。高い教養、凛とした佇まい、相手を思いやる気持ち、寛容さ、威厳……それらすべてが身についたことで初めて内側から滲み出る、オーラのようなものでしょうか。だとしたらこれを手に入れるのは容易なことでないはず。

 こうして考えてみると、二十年という月日はむしろあまりに短すぎるような気がします。まだ出会ってもいない誰かのために、勉強、勉強、勉強の日々。

 私なんだかとても忙しい毎日です。

 自分は一生、結婚なんてできないのではないかと悩んでいた時期がありました。また、もし万が一結婚できたとして、人間として未熟な私はすぐに離婚を切り出されてしまうのではないかと怯えていた時期がありました。でも、この野望に目覚めてからすべてがどうでもよくなってしまった気がします。

 大人の魅力溢れる立派なマダムになって、二十歳ぐらい年上の恋人を作る。そのためには、夫や子供の存在はむしろ邪魔となることでしょう。より純粋な気持ちで老紳士との恋に挑むためには、結婚などしていない・できていないほうがずっと都合がよいのです。