胃と熱

 怒りをこらえているときの感覚と、空腹を我慢しているときの感覚はよく似ている。仕事中に発狂したくなった場合を考えて、私はあえて食事を抜くことにした。内側から湧き上がってくる衝動を抑えつけるためには、体の中心に強く力をいれなくてはならない。そしてそのとき、胃のなかに物が入っていると気持ち悪くなってしまうのではないかと思ったのだ。私にはそのことが体感としてよくわかっていた。そして、実践してみるとそれは確かに真実であった。

 反対に、むしゃくしゃする気持ちを思いっきり噴出させたいときは、好き放題に飲んだり食べたりするのがいいのだろう。泣き叫びながら気が済むまで胃に物を詰め込んで、詰め込んで、詰め込んで、限界がきたら吐けばいいのだ。

 こうした身体感覚と感情の連動に気が付いたとき、私は、世間のひとびとを眺めるためだけに街へ行きたいと思った。体型さえ見ればそのひとがどんなふうに自分の感情を対処してきたかがわかるような気がしたからだ。

 私は肥っているひとが大好きだ。そして、痩せているひとのことを愛している。

 カラオケで思いっきり熱唱しながら、フライドポテトを食べた、から揚げを食べた、チョコレートを食べた、コンポタージュを飲んだ。それですこし気が収まった。なんなんだあいつは、とか、本当にそういうことしていいと思ってるのかよ、という言葉が、自分の内側から勝手にこぼれおちて歌詞と歌詞の間に消えていくのが、ひどく自然なことのように感じられた。

 喪失の悲しみを抜けて、怒りへ辿り着き、そして一晩明けてみると、また虚しさに支配されている。

 ひとりでは十全に生きていくことなんてできない、と思う。だが、それでもまたしばらくの間どうにかやっていかなくちゃいけないのだろう。