POP

I

 昔から占いが好きだった。特に星占いが。理由はいくつかある。不思議なことに魅力を感じるから、遠い宇宙のことを連想させられるのが楽しいから、運命のようなものの存在を信じてみたいから、未来のことを知っておきたいから、ロマンティックですてきだから、なんとなく、その他いろいろ。心惹かれる理由すべてを言語化することはできないけれど、できないままにずっと好きでいることができたもの、気にかけてきたもの。それが占い。

 少女漫画雑誌のいちばん後ろに載っている今月の運勢、朝の情報番組で告げられる本日のラッキーアイテム、きらきらした表紙が魅力的な血液型占いの本、実はちょっと好きだったあの子の誕生日が書き込まれている卒業アルバム。それらが人生のすべてだとも思わないけれど、とにかくずっと意識の片隅にはあった。

 大人になってからもそれは変わらない。本屋の占いコーナーの前でつい立ち止まってしまうのをやめられないし、いちばん好きな占い師の公式サイトには毎月324円課金している。ごく稀に謎の反骨精神が沸き上がり、「星のリズムなんて関係ない、私は私のリズムで生きてやる……!」という気持ちになることもあるが、結局、今に至るまで解約できていない。私にはどうしてもそれが必要だからだ。

 たまに「占いなんて、たいてい誰にでも当てはまるようなことしか書いていない」などと言うひとがいて、ちょっとムッとする。でも結局、その通りだと思う。こんなに占いにこだわっている私でさえ、100%信じてるわけではないのだ。それにもし100%信じ切っている人がいたら、ちょっと痛々しいなあと思うことだろう。

 あるいは、「本当に神秘的な力を持っている占い師なんてほとんどいなくて、実際に行われているのはただの人生相談でしかない」という話をたまに聞く。なんだあとがっかりしたり、そんなこともないはずだと思いたくなったりする反面、妙に納得させられてしまう。まあそうだよなあ、ってしみじみ思う。

 占いに執着する気持ちの根底には、「誰かに自分について言及してほしい」という願望が潜んでいる。

 そのことにはじめて気が付いたとき、私はとてもさみしい気持ちになった。必死になって星占いのムック本にかじりついていた小学生時代の自分が、なんだかとてもあわれに思える。

 私、そんなに小さな頃からかわいそうだったんですか? ずっと?

「占いなんて、たいてい誰にでも当てはまるようなことしか書いていない」  頭ではきちんとそうわかっているはずなのに、いざとなると結局手を伸ばしてしまう……、というのは結構えぐいことだなあと思う。そして、きっと普遍的なえぐさなのだろうなあとも。

「誰でもいい誰かとしてであってもいいから、とにかく誰かに私の話を聞いてほしい、そして、誰かに私の話をしてほしい。自分の個性について語ってもらえたり、不安すぎる未来のことを肯定されたりしたい」  改めて考えてみるとなかなかきつい感情だ。さみしい動物族代表の立場としては「誰しもがちょっとずつ持ち合わせているきもちだ」と擁護したい気持ちでいっぱいだが、やはり、行き過ぎれば毒だ。強い臭気の原因になる。占いや神秘的な力に執着しすぎる人特有の痛々しさ、というものがもしあるのだとすれば、おそらくそのへんに理由があるのだろう。

 でも、だからといって必ずしもそれが悪いことだとは思わない。

 誰でもいい誰かに宛てられた肯定的な言葉があちこちに溢れていることや、それを求めてやまない人々が大勢いること。

 生きていくなかで巨大な不安を抱いてしまうことや、自分以外の誰かにそれを打ち消してもらえたらとつい願ってしまうこと。

 私がこんなにもさみしい人間であることや、それを癒してくれる何かが欲しくて顔も知らない誰かの言葉に毎月324円払っていること。

 それらはすべて人間にしかないどうしようもなさであり、愛おしい部分でもあるはずだと、私は信じたい。

 J-POPが好きだなあ、と思う。以前は空疎でどうしようもないと思っていたはずなのに、いつの間にか平気で聴けるようになっていた。

 大好きなシンガーソングライターが歌う「生きていて嬉しいな」、アイドルの男の子が口にする「大丈夫」、高校生のころファンだったバンドが、イヤホン越しにささやいてくれる「生きろ」。ひとつひとつを挙げていけば切りがない。それらの言葉は決して私宛のものではないはずなのに、ちゃんと心に突き刺さる。

 感受性の麻痺だろうか?

 好きなバンドがメジャーデビューした。マイナーだからとか、ちょっと変わってるからとか、そういう理由で好きになったわけではなかったはずなのに、なぜかちょっとショックだ。それに近頃はどの曲を聴いてもなんだか物足りない。彼らは変わってしまったのだろうか? メジャーデビューを果たしたことによって、一般受けを狙った、つまらない歌詞しか書かなくなってしまった?

 そういうことで頭を悩ませた経験が、私にもある。

 表向きは「大好きなひとたちが目指したいといっている道なのだから、応援してあげるのが筋だ」と言いながらも、実際は彼らがメジャー志向であることに傷ついていたのを、よく覚えている。

 過去の楽曲の焼きまわしのように聴こえるメロディー、キャッチーなだけで中身を感じない歌詞、買わないでおこうか散々迷った挙句、死ぬほど金欠なのになぜか買ってしまったニューアルバム。ちょっと違うな、と思った時点で離れていればよかったのに、どうしてもそれができなかった。なぜだろう。

 いまならその理由がよくわかる。

 ずっと「彼らの音楽に"救済された"」と思っていたのが勘違いで、現実には「彼らの音楽に"肯定された"」ぐらいのことしか起こっていなかったのだということ、さらにいえば、それすらも気のせいだったのかもしれないということを、どうしても認めたくなかったのだ。

 片思いしかしたことがないから恋愛の歌がわからない、友達がいないから友情の歌がわからない、クラスで居場所が見当たらないので青春の歌がわからない、でも生きることがつらい気持ちやかわいいものに惹かれる気持ちは私にもよくわかる。痛くてふつうじゃない私だったからこそ好きになれた、あのバンド。

 「ふつうのJ-POP」が歌うふつうの人生から零れ落ちた先で、ようやく自分に寄り添ってくれる言葉を見つけられたのだ。そのことが当時は嬉しくてたまらなかった。どっぷりはまってしまうのも無理はない。

 しかし私は何もわかっていなかったのだ。彼らの言葉が決して個人宛てのものではないことや、その事実が後の自分自身にどんな打撃を与えるかについて、何も。

 普通のポップカルチャーから零れ落ちてしまったひとたちに向かって作られた、新しいポップカルチャー

 取り扱っているモチーフがちょっと変わっているだけで、そこに敷かれている構造自体は「ふつうのJ-POP」と何も変わらない。そのことに気が付いた瞬間の空疎感たるや、尋常ではなかった。泥を掴まされたという話であればまだマシで、本当は最初から何も掴んでいなかったのだ、と、肌で知っていくことがつらかった。

 ポップカルチャーに特有の、空々しい明るさをあんなにも毛嫌いしていたはずなのに、その私がどうして。

 そうしたショックと混乱が収まるまでに、そこそこの年月を要した。

 収まった後で改めて思うのは、やはり彼らは何も悪くない……、ということだ。単に途中から路線が変わっただけ、というわけでもない。ファンからのイメージに反し、実はかなりのメジャー志向であることを、彼らは最初から語っていた。そのことをファンである私が知らないはずがない。知っていて目を瞑ろうとしたのは、私自身だ。

 もしもあのバンドが「音楽によって人を/誰かを救いたい」といったような発言をしていたら(※)、とたまに考える。私はきっと、彼らの音楽を心底嫌いになって、もう二度と聴くことができなかったことだろう。でも、そうではなかった。

 彼らは、私のような人間が私のような人間としてそのまま生きることを肯定してくれた、ほぼ唯一の存在だ。それが単なる甘やかしでしかなかったのだとしても、生きる活力になったことは事実だった。かつての私を受け止めてくれる皿がこの世に存在してくれていたことを、いまではありがたく感じている。あんなにどこにも居場所がなかった私に、一時でも寄り添ってくれて、本当にありがとう。

 もう熱狂はできないのだとしても、彼らの音楽が大切な宝物だったときのことを忘れたくないな、と思う。

 言葉には何か特別なちからが宿っているはずだ、と私は信じている。だけど、言葉が人を「救う」か?と考えてみるとどうも怪しい。たぶん、言葉で人は救えない。唯一できることがあるとするならば、それは肯定することぐらいだ。肯定された人はなんとなく救われたような気分になったり、ならなかったりする。

 J-POPの歌詞が完全に私の心を掬い取ることは、おそらくない。どんなに完璧と思えるフレーズを与えられようと、そこからはみ出してしまう感情・感覚というものは必ず発生する。それはどうしたってしかたがないことだ。そういったものを極力取りこぼさないようにしたかったら、自らペンを持つしかない。そこから先は自分自身の仕事であり、彼らにその責任を要求することはできない。

 そうわかった上で、私はポップな言葉たちのことをもう一度好きになりたい。

 私は星占いが好きだ。J-POPが好きだ。弱くてさみしい人間だから、無責任に寄り添ってくれる誰かのことをどうしても必要としてしまう。そのことを否定するのではなく、しっかり認めた上で、他人の言葉から零れ落ちてしまう感情をどこかに書き留め続けられたらな、と思う。

 終着点を見失ったところでこの話は終わります。

(※…もし私の知らないところでしていたらどうしよう)