さみしいふしぎ

 上京してから一週間が経った。

 親戚宅に居候という形ではあったが、一応、大学時代も東京に住んではいたため、さほど戸惑うような場面はない。

 管理人付きの寮生活などではなく、本格的な一人暮らしというのははじめてのため、わからないこともそれなりにあるが、たぶん、すぐに慣れるだろう。世の中これだけ多くの人が自活して生きているのだから、きっとそれほど難しいことはないはずだ。

 予想していた通り職もすぐに見つかった。面接時に言われたさまざまなことが気がかりではあるし、けっこうきつい現場ではあるようだけれど、前からやってみたかった仕事に挑戦する機会が得られて嬉しい。

 実際の勤務開始はもう少し後になるので、それまでの間すこしのんびりしようと思う。

 来る前は先々のことを考えるのに精いっぱいで、そんな余裕はなかったのだが、こうして落ち着いてみると、さみしさから前の職場のことをよく思い出す。働いている間はあんなにストレスを感じていたのに、離れてみるとやはり恋しくなるものだ。なんだかんだいっても愛着があったのだろうなあと思う。下手をすると地元よりも帰りたい場所かもしれない。

 お世話になったあの人に会いたいなあとか、私が開けた穴は誰が埋めることになったんだろうかとか、そんなようなことをつれづれ考えながら、半年前に付けていた日記などを読み返してみる。

 すると自分でも意外に感じるようなことが記してあったりして、これがなかなかおもしろい。

このまま一生独りでいるにせよ、なんらかのタイミングで誰かしらを選ぶにせよ、大事なのは自分の選択に責任を持つこと 自分で選んだ相手のことを悪く言ったり、自分で選んだ孤独を強く悔いたりすることのないように生きたい (2018年12月の日記より)

  つくづく、ひとりで生きていくことの大変さを思い知った時間だった。

 他人との間に協力関係を結ぶことと、自分の生き方に責任を持つこと。その間で悩むようになったのは、それなりの苦労を味わったからこそだと思う。

 親の庇護下にいた頃、特に十代のうちは、自分がこんなことを考える日が来るとは想像もしていなかった。かつてはあんなにひとりきりの時間を切望していたのに……と思うと、まったく人間ってわからない。私もすっかり大人になってしまった。

 過去を振り返る一方で、最近新しく出会った人というのもいる。はじめまして、これからよろしくお願いします、などと言いながら、目の前のその人を懐かしむ日をすでに予感していたりするから不思議だ。そしてもしかすると、それは相手も同じだったりするのかもしれない。さみしいけれど、これが人生か、というふうに感じる。