朝に遊ぶ

 最寄駅のホームで電車が来るのを待っている最中、ふと、私にとって私の身体はオモチャだな、という気がした。目で見たこと、耳で聞いたこと、肌で感じたこと、その他すべての刺激を甘受し、解釈するために在る総合器官。血の通った肉体というよりも、剥き出しの感覚神経そのものとして自己が存在しているイメージ。この道具を用いて遊ぶと詩ができる。

 
 でも、遊んでいないときだって、ほんとはずっと遊んでいるようなもんだ。少なくとも、世界があって私が生きてるうちは。無意味な入力と出力を繰り返しながら、時計の針を進めていく他ない。人生は全部遊びだ。私は機械だ。こんなに感情的なのにね。わはは。