熱海

 今年は国内旅行をたくさんしたいな、と思い、その第一弾として熱海へ行ってみることにした。 有名な温泉地の中ではわりあい、東京から近い距離にあるし、日帰りでなら何度か行ったことがあったので、旅行初心者の私にはちょうどいいと思ったのだ。

 昨年の夏に初めて訪って以来、私は熱海の大ファンなので、この計画をひらめいた時は胸が躍った。たぶんだけど、故郷よりもずっと好きだと思う、熱海。

 理由はいろいろあるけれど、いちばん根強くあるのは海への憧れだ。私は栃木の山奥で生まれ育ったため、いままでの人生でほとんど海を見たことがなかった。子供の頃に何度か海水浴へ連れて行ってもらった記憶はあるが、それももうかなりあやふやになっている。未知だからこそ、私の中の「海とはどこか神聖なもの」「巨大で美しいもの」というイメージは年を追うごとに膨らんでいった。

 そんな中で十数年ぶりに見た海が、熱海の海だったのだ。あの時は衝撃だった。山間に住む人間の、行き過ぎた妄想などではなく、海は本当に巨大で、神聖で、且つ美しかったからだ。私は泣いた。それから、絶対にまたここへ来よう、と胸に誓った。

 さてそんな熱海。前置きが長くなってしまったが、そろそろ今回の旅行記を始めようと思う。文章を書く体力が残っていないため、なるべく簡潔にまとめたい。

 八日の東京は天気が悪く、朝から雨が降っていた。かなり肌寒かったのを覚えている。冬の嵐、なんていう言葉がツイッターのトレンドに上がっていたほどだ。仕事のことでダウナーな気分に陥っていたのもあり、正直あまり気乗りしないまま熱海行きの電車に乗った。車内はかなり暖かく、年末年始の疲れが残っていたのも手伝って、発車後ほどなく眠ってしまう。目覚めたころにはとっくに中間地点を過ぎており、はじめ隣に座っていた女性客もいつの間にかいなくなっていた。乾いたコンタクトが目に張り付いているのを不快に思いながらも、窓の外に目を向けてみると、いつの間にやら空が晴れている。そこでようやく、ちょっとだけ気分が上を向くのを感じた。駅の屋根から零れ落ちる雨露が、太陽の光を受けてとても奇麗だ。そこからまたしばらくウトウトして、再度意識がはっきりしたときにはもう海が見えていた。ひさびさに見る海はやはり美しく、茫洋としていて、私はなんだか泣きそうになった。その時ちょっと印象に残った出来事があるので書き留めておく。

 まだ動き続けている電車の中で、急に立ち上がって、よろよろと窓のほうへにじり寄った人がいた。四十代ぐらいの男性で、顔はよく見えない。際立った特徴もなく、わりとどこにでもいる感じのひとだったと思う。その、私にとって何でもないはずの赤の他人が、揺れる窓の外を一心に見つめる姿を目にして、ああ、と思った。このひとも海が見たくてここまで来たんだな、と。私は一瞬のうちに、ほとんど妄想にも近いような共感をそのひとに対して抱いた。そして思ったのだ。美しいものを希求する心は、やはり美しい。

 もともと、その日私は来宮神社を参拝する予定だった。年明けからまだ初詣を済ませていなかったのもあるし、そうでなくとも、土地の神には挨拶せねば、という気持ちがあった。そしてその時になんて願掛けをするべきか、ずっと考えていたのだが、この一件でようやく心が決まった。

 今年の願いは「美しくなれますように」だ。もちろん、それは単に外形的なことを指すわけではない。昨年はいろいろな出来事が起こりすぎて、ちょっと人として崩れてしまったような感が強い。生き延びるために必要なことではあったが、自分自身の持つ弱さに甘んじてしまったふしがある。そこを立て直して、強さを取り戻すことが出来ますように。また、その強さが、美しさを伴った強さでありますように、という思いを込めてこの願いにした。そしてそんなことを考えている私はもうすでに美しかった。

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 熱海駅の近くにある古い商業ビルで、好みの店を見つけた。値段のついたアクセサリーや食器が並べてあるところを見るに、どうも雑貨屋のようだが、奥のほうには休憩所のようなスペースがあったりして、いまいちよくわからない。でも、そのよくわからなさが私は好きだなあと思った。

 一目ぼれした鈴蘭のブローチを買おうとしたら、店主が「ああ、それ、1000円ね」と言う。

「あれ、でも、裏には1500円って書いてありますよ」

「え?あっ、そう?じゃあ1200円ね」

 商売をする気があるんだかないんだかわからないような反応だ。おまけに、「さっきのカップも800円でいいですよ」なんて言っているが、私はこの店に入ってから一度も食器類に手を触れていない。前後の状況から察するに、どうも入れ違いで帰っていった先客と私を混同しているようだ。なんだか心配になってしまう。次来るときもあるのかな、あの店。

 一抹の不安を感じつつ、私はひとまず海に向かって歩き始めた。

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 と、その前にちょっと休憩。熱海は急な坂道が多く、普通に歩いているだけでもけっこう疲れる。途中、前から気になっていた喫茶店があったので、立ち寄ってみることにした。お腹と相談しつつもチョコレートパフェを頼むと、偶然、同じタイミングで店内の電話が鳴った。はい、はい、と対応する店主。そこまではいい。電話を切った後、店主が常連客相手に「どうして重なるかなあ」とこぼすのを耳にしたところで、若干、「おいおい」と思った。そんなことを言われてしまうと、重ねた側としては申し訳ないというか、気まずい。でもまあ、個人店なんてこのぐらい気が抜けてるほうがいいよね。楽しいいつものおしゃべりを邪魔してごめんよ。

 熱海には他にも好きな喫茶店がいくつかあるが、正直、あんまりプロ意識のようなものを感じたことはない。全体的に、「仕事として商売をしている」というよりは、「単純に人が好きでやってる」「もともと愛想がいい」というような雰囲気だ。偶然常連客と居合わせたりすると、店主の好感度の差があからさまに感じられて胸を痛めたりもするが、私はその嘘のなさが好きである。いつか土地の人間になって、こういう趣味のいい店で「常連さん」になれたら楽しいだろうな、といつも思う。

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 そんなことを考えながら歩いていると、ほどなくして海岸に辿り着いた。完全に晴れているとは言い難いが、雲間から見える太陽の美しさが凄絶である。神様はいる、と思った。

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 来宮神社参拝。結構賑わっていたはずなのだが、鳥居の前に立った途端人払いが起きた。急に変わった天気のこともあり、歓待を受けているような気分になったが、おみくじは中吉。調子に乗るなよということか。

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 選んだ宿も良かった。夕食をしっかり食べる習慣がないため、今回は朝食のみのプランにしたが、次泊まるときはディナーもいただきたい。

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 翌朝、部屋の窓から見た熱海。帰りたくなくてまた泣いた。

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 近くの梅園にも立ち寄ったがまだほとんど咲いておらず。明後日から梅まつりがはじまるらしいが、どうせならあと1週間は置いたほうがよさそうだ。満開の時期にまた来たい。

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 梅園から来宮駅までを散歩して、真昼のうちに帰りの電車に乗った。本当はもっといたかったけれど、無用な長居は美しくない気がしたので。ちょっと未練がましいほうが旅の終わりにはふさわしいように思う。近いうちにまた来たいな、熱海。