冬眠

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 すっかり忘れてしまっていたのだが、そういえばしばらくの間上記のようなことをしていた。なぜこんなことをしたのかというと、簡単に言ってしまえば、まあ、疲れていたからだ。失恋や知人の死、環境の変化からくるストレスなど、諸々重なったことで気持ちがくたびれきってしまい、もっとひとりの時間を確保したいと強く感じたことが発端となっている。

 そもそもの話、私は人からの誘いを断ることが苦手なほうだ。よほど気乗りしないとき以外はつい調子のいい返事をしてしまい、後から苦しむ。この癖を、今後はちょっとずつ改善していく必要があるな、と思った。本当のことを口にしないで対人関係を乗り切ろうとする態度はどことなく不誠実だし、何より自分が疲れる。このままだといつかまたパンクしてしまうだろう。

 つい相手の顔色を気にしてしまう自分にとって、「冬眠中だから……」という意味不明な断り文句はなかなか便利だった。「なんか変なこと言ってる」「わけがわからない」ぐらいのことは思われても、そこまでの悪印象は与えず(たぶん)、モヤモヤと相手を煙に巻くことができる。だが、あまりに飛び道具的なのでそう何度も使える手ではない。それに、もう春だからね。阿呆みたいなことばっか考えないで、もっとちゃんとした処世術を身に着けるべきだなあと思います。

 以下、冬眠中に感じたことや起きた変化について箇条書きで。

・長い付き合いの友人や、本当に心を許している相手はたいてい、私の「ひとりきりになりたい」という気持ちを理解し、尊重してくれた。

・しばらく距離を置きたいと思っていた人に限って「なぜ構ってくれないのか」と怒ったり、「さかなちゃんは私のことが嫌いなんじゃないか」と勘繰ったりしてきた。めんどうなのでこのまま関係をフェードアウトしようと思う。

・人と会って話をする時間も重要。でも、そんなに多くなくていい。私は社交的な人間じゃない。

・承認のためというよりは、外の世界とのチューニングを合わせるために他者と会うことが必要。ひとりぼっちでいるとどんどんずれる。

・ショックだった出来事について、おおかた心の整理がついた。深い悲しみの色が褪せ、いまはどちらかというと平坦で味気のない日々を送っている。

・体重が増えた。でも、また減らせばいいと思う。

・自分の心の冷たさに気が付いた。さみしさを感じる瞬間もないわけではないが、そこまで強い感情ではない。特定の人物に会いたいという気持ちが湧き起こることもあったが、雑事に追われているうちに自然と忘れてしまう。

・自分が愛されなかったり構われなかったりするのは、「他人から見て、私にそうするだけの価値がないからだ」と思いながら生きてきたので、むやみやたらにさみしいさみしいと連呼している人を見ると冷めた気持ちになる。努力もせず、他人に満たしてもらうことばかり考えているのはどうなのか。理解できない。

・その反面、「価値のない人間は愛されない」「それを望むべきじゃない」という考えは自分のことも他人のことも苦しめるだけだよなあ、とも思う。結局、何に価値を見出すかはひとそれぞれなので、自分自身が変われないのであればうまいことハマれる場所や相手をしらみつぶしに探していくしかない。

・でもまあ、私にはそれをやるエネルギーすらないな。いまあるもので十分だ。さみしさよりめんどうくささが勝つ。

・徹頭徹尾自分のためだけに時間を使う、というのは、「ホールケーキを丸ごと全部ひとりで食べる」みたいなのと同じ話で、確かに贅沢だし、夢のある話ではあるんだけど、絶対に途中で飽きる。しかも、飽きてからも続く、というのがなかなか苦しい。はじめはあんなにハッピーだったのに、終わりが近づいてくると完全に持て余してしまい、虚しい気持ちになる。

・ 時間もケーキもみんなと分け合ったほうがいい。独り占めしようとしないほうがかえって豊かなきもちになれる。

・でもやっぱりたまには独り占めしたい。欲張りなので……。

・プライベートでの人間関係が完全にストップし、見た目に気を使わなくなってボロボロになったりもしたが、お仕事面ではなかなかいい動きがあった。昇格したし、来月からは給料も上がる。人生は多面的なのですべてが同時に最悪になることはあまりない、ということを知れた。

・数少ない友達のことがすごく好き。

 こんなところだろうか。冬眠生活は終わったが、流行り病のせいでもうしばらくこもりがちな日々が続きそうだ。事態が落ち着いてきたら好きな人たちに再会したい。