ナチュラル・ウーマン

 こんな時ではあるが、つい先日、二十五歳の誕生日を迎えた。不思議ちゃんと呼ばれ続けたこの私もとうとうアラサーである。早く死ぬ、早く死ぬと思いながら生きてきたので、正直、こんな歳になるまで自分が存命しているとは想像していなかった。行き当たりばったりの人生でも案外どうにかなるもんだな、となんて思うと安堵のため息すら出てくる。命からがら戦地から逃げ出してきた若い兵士のような気分だ。自身の幸運が素直にうれしい。

 アラサーなんて言い方をするとずいぶん軽やかに聞こえるが、実際のところ、二十五年という年月にはなかなかの厚みがある。試しにインターネットで検索してみると、 カルビーじゃがりこや、あの有名アニメ・新世紀エヴァンゲリオンも今年で二十五周年を迎えるとの情報が出てきた。知名度や完成度などの観点から考えて、自分なんぞがこのふたつと肩を並べるのはおこがましい気もするが、それでも内に根付いている歴史の量はきっと同じぐらい、なんて不遜にも思ってみる。途端、胃の腑のあたりがずしんと重くなる。しかしそれは決して嫌な感覚ではない。世の荒波に揉まれて気持ちが折れそうになったり、人間として汚れたり、時には余計な傷を負ったりしながらも、そのたびになんとか立て直して今日まで生きてきたのだ、とを思うと、この命の重みに誇らしいものすら感じる。周りの同年代に比べるとあまりちゃんとした大人になれなかったなあなんて思う部分もないわけではないが、まずはこの歳までどうにかやってこれた自分のことを褒めてやりたい。

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 人生二十五周年を記念して、ちょっと高めの口紅を買った。デパートに直接赴いて化粧品を購入したのはこれがはじめてだ。いろいろ悩みもしたけれど、最終的に選んだブランドはSUQQU。モイスチャーリッチリップスティックの中から、紅金魚という名前の物を選んだ。 その名が表す通り、池の中で悠々と泳ぎまわる金魚を連想させるような、瑞々しさと色気を併せ持った色だ。 写真で見るとかなり落ち着いた朱色だが、実際にはシアーな発色で、明るいコーラルオレンジといったところ。売り場に着く直前までは「落ち着いた大人の女性をイメージして、ピンクベージュ系の色を買おう」なんて考えていたのだけれども、この色が持つ魅力には勝てなかった。でも、後悔はしていない。

 化粧品について考えていると、ついつい、自分はどんな女性になりたいか、というところまで思考が飛ぶ。幼年時代は西洋のプリンセスに、少女時代はホラー漫画のヒロインに憧れ、あるときはレースとフリルをふんだんに纏い、またあるときは清潔な白いブラウスに情熱を燃やしてきた私だが、いま胸の内にあるのはどこまでも日本的で古風な美だ。「大和撫子」などというと、「イマドキ何を」と馬鹿にされるかもしれない。それでもやはり、私はこの言葉を聞いて想起されるような、奥ゆかしくて凛とした女性像が大好きである。

 それに実際、大和撫子はまだ滅びてなんかいない。

 他の先進国に比べ、日本はまだまだジェンダーギャップが激しいという。自分自身がそうだからわかるが、ただ女だからというだけで不当な我慢を強いられる機会は多い。しかしだからこそ、そういった世の中でも強くうつくしく生きているひとを見つけるとより感動するのだ。社会に出てよかったな、と思うことのひとつに、そういった女性たちとの出会いが挙げられる。笑顔の中にも芯を感じさせる、本物の大人の女性。そういうひとは決まってスーツや礼服などのフォーマルな装いが(も)よく似合う。

 日本的な美といえばキモノ、というふうに考えるのも、まあ間違いではない。だが、私はそういったわかりやすい図式よりは、むしろ、世界的に見てもかなりありふれた、均質化された装いをしていても自然と滲み出てくる楚々とした魅力にこそ、現代式の「和」を感じる。それもかなり立体的に。これは当たり前のことだが、私たちはもともと日本人なのだから、そのことを殊更に強調せずとも素肌のままでじゅうぶん日本的なのだ。

 愛国心なんて呼べるほどのものがあるわけではないけれど、もっとシンプルに、私は自分自身の「生まれ」や、どうしても修正を加えることのできない部分を肯定したい。そしてその延長線上に、この国で暮らしていく中で自然と身についた美の意識に対する愛着がある。自分用にちょっといい口紅を、と思ってDiorやCHANELなどの外資系ブランドではなくあえてSUQQUを選んだのも、こういう背景があってのことだった。

 SUQQUのいい点をあげようとすれば無限にあげられる。だが、まず一つ目に言うのだとしたら、やはりこのパッケージ。濃紺の、真四角なフォルムに、装飾はブランド名の彫刻のみという慎ましやかさ。じっと見つめていると、幼い頃に覗いた祖母の鏡台を思い出すような、あたたかい懐かしさを感じる。大人の女性に向けてデザインされていることは明白だが、だからといって近寄りがたいほどの高級感はない。でも、そのかわりに安心できる上質さと、確かな品がある。そこがたまらない。

 中身の色展開もかなり好みで、外れのないラインナップから特別な一色を選び抜くのにはずいぶん苦労した。花紅、金杏、琵琶艶、輝赤など、凝ってつけられた和名がまたずいぶん素敵だ。ひとつひとつの色にストーリー性を感じる。今回は選ばなかったものの、ブラウンがかった秋の色を「焦がれ紅」と呼ぶなど、本当にうっとりするようなセンスだ。

 また、SUQQUといえばやはり有名なのはアイシャドウ。平安時代の絵巻物から掬いだしてきたかのような、やわらかい色彩を前にしているとほんとうに惚れ惚れする。昔の貴族たちは毎日十二単コーディネートするの楽しかっただろうなあ、なんてちょっとアホなことを想像してみたり。青や緑などの一般的には使いにくいとされる色でさえ、どこかやさしげな風味を帯びており、つい手を伸ばしたくなってしまうからおそろしい。

 今回は店頭で眺めるだけになってしまったが、近いうちにアイシャドウとチークもお迎えしようと思う。そして、その品に見合うような女性になりたい。というか、絶対になる。長い人生、これからもいろいろとあるだろうけれど、当座の目標はそんなところだ。