妥協のぬいぐるみ

 たった5分前に言われたばかりのことをすっぽ抜かして呆れられる、みたいな失敗が多すぎて、自分が嫌です。その反面、1週間とか数カ月前に起きた出来事は鮮明に記憶していることが多く、なんていうんかな、脳のバランスがめちゃくちゃ悪いんだと思うわ。言われたことに対する理解と、記憶の定着が人よりも遅い。その場では「?」って顔をしてたのに、帰宅途中突然「!」ってなったりとか。用心深い性格のおかげで襤褸は出にくい(なんかやらかしても誰かに気づかれる前に処理できちゃう)けど、ベースがアタポンタンのポンコツタコタコ野郎すぎて普通に生きてるだけで疲れる。早く一人前の仕事ができるようになりたい。

 

 

 「1カ月後、またね」って言ってお別れしたはずなのに、実はもう一生会わないのかもしれない。みたいな案件がところどころで発生していて、マジ人生って感じがすごい。急に限界を迎えて転職したり家捨てたりすることが多い人生だったから、唐突なサヨナラには慣れているほうだと思ってたけど、こうも頻発してるとさすがに心がえぐられる。みんなずっと一緒だと思ってたのになあ。いままでに出会ってきた、本当に心から大好きだったんだけどきっともう二度と顔を合わせることもないだろう人たちのことをひとりひとり思い出して、ついでにその並びへいくつかの顔を追加しました。さみしいね。でもこんな世の中だししょうがないわ。願わくばみんな幸せに生きていってほしいし、私もそのような方向で努力していきたいと思います。

 

 

 この間、パートさんとぬいぐるみの話をした。「ぬいぐるみって、捨てるのがむずかしくない?」というお決まりの問いを浴びせられ、「私の家にいるぬいぐるみたちは大事な友達だから捨てたりしない」と早口で即答。本当にきもい25歳だな。昔、しょっちゅうゲームセンターのユーフォーキャッチャーでデカいぬいぐるみを取ってきては私にプレゼントしてくれる男の子がいて、なんかまあ、それはおそらく淡い好意の表明みたいなものだったんだろうけど、はっきり言ってかなり嫌だったな。私の部屋は私の精神世界の延長線上にある空間なので、安易な気持ちでどうでもいいぬいぐるみを招き入れたりしたくないのだ。だって例えばだけど、家に呼ぶ予定になってた友達が「たったいまそこの河原で仲良くなったおじさん、あなたも気に入ると思ったからつい連れてきちゃった。ね、おもしろいでしょ。かわいいでしょ」とか言って見知らぬ中年男性を連れてきたら誰だっていやな気持ちになるだろう?少なくとも私はなる。ぬいぐるみだって同じなのにどうしてそれがわからないんだろう。ってかわかってくれないんだろう、この子は。他人から見てどんなにいいぬいぐるみだったとしても、私にとってもそうであるとは限らないのに。信用できる人間しか家に入れたくない、という主張は当たり前のこととして理解される世の中で、信用できるぬいぐるみしか家に入れたくない、という私の気持ちがこんなにも軽視されるのはなぜなんだ。みんなぬいぐるみの人格とか、ぬいぐるみ対人の相性についてどう考えてるんだ?ほんとに私ひとりがキチガイ扱いでいいのか?いいのか。でもどうしたって好きでもないキャラクターのぬいぐるみなんて部屋に置きたくないよ。捨てるしかない。捨てるしかないけど、人からのプレゼントを貰った傍から捨てたりしたら私が悪いやつみたいじゃんん。うううう。みたいなことで悩みすぎて当時の私は鬱寸前の精神状態になっていった。

 

 ということをなんとなく思い出しながら、「ね、ね、見てくださいよ、かわいいでしょ」と言ってiPhoneに保存してある友達(ぬいぐるみ)の写真を見せたら、その優しいパートさんは「わあほんと! すごくかわいいね」と同調してくれたので嬉しかった。

 

 

 当たり前のように誰とも会っていないので昔のことばかりが思い出される。特に美しいのは二~三年前の記憶だな。大学を辞めて、実家でゴロゴロしながらフリーター生活を送っていた頃がこれまでの人生でいちばん幸せだったように思う。バイト帰りに近くの畦道をフラフラ歩きながら、「単調なように思える日々だけど、これがずっと続くことはないんだろうな」なんて考えたこととか、懐かしいな。君の予感は当たったよ。戻りたいとは思わないけど、あの頃好きだった人にまたいつか会いたいな。今年の短冊に書く願い事は「世界平和」で決まりだね、さすがに。