宇宙の中でいちばん好きな他人

 今日は朝から天気がいまひとつだった。おまけに、夕べ限界まで筋トレをしたせいで体の節々が痛い。寝起き特有の倦怠感もいつもよりひどく、起き上がるのもやっとという感じだ。普段ならあちこち出歩くのが好きな恋人も、なんだか今日は気乗りしないと言うし、一日家の中か、出たとしても近所で済ませようという風に意見がまとまる。

 

 布団の中で「微妙にお腹が空いたけど、家にちょうどいい食べ物がない、かといってとても外に出られるような状態ではないし、どうしたものか、限界まで我慢してみるかあ」などと思案していると、恋人が朝マックを買ってきてくれると言う。口では悪いなあなんて言いつつも、心の中では思わずニコニコ。甘えた態度全開で恋人を外へと送り出した。休みの日は本当にダメな女だな、さかなちゃん。

 ダイエットするって決めたばっかりなのに、私は今日、ベーコンエッグマックグリドルとアップルパイを食べました。

 

 

 朝マックを食べた後、今度は床の上でごろごろしていると、ちょっとした流れで好きなイラストレーターの話になった。

 この人の絵なんだけどさ、と言って恋人がパソコンの画面を見せてくる。それで覗いてみると、堂々とTwitter上の検索結果が表示されていた。恋人のSNS事情を詮索するつもりはさらさらなかったのだが、自然と画面左下のアカウント名が目に入ってきたので私は思わずうわー!と叫びそうになった。無防備すぎる。どきどきしながらそれを記憶して、一通りの会話が終わった後でこっそり検索してみた。

 

 それで思ったのが、やっぱり身近にいる人間のSNSなんか見たって何にもならないということ。二人の関係に亀裂が入るような何か決定的なことが書いてあったわけではないけれど、こんなの意識したって毒にしかならないな、と直観的に悟った。

 私の知らないところで吐き出されたネガティブな言葉(※私に対する愚痴ではない)はいかにも本音っぽく見えるけど、だからといってそれがなんだというのだ。本音とか、本音っぽいこととか、正直であることがいちばん尊く、優先されるべきだという考え方には同意できない。

 

 私はそのひとが自分から見える範囲で起こした行動や、「この関係性/タイミング/人物だから言える」という確信から出た発言しか真に受けたくないと思っている。不特定多数に見せる用の、雑然とした、整理されていない感情や思考を勝手に盗み見て「真意」と取るのは暴力的な誤解の仕方だ。胸の内に湧いてくる無数の思いから、これは言っても問題ないだろう(あるいは問題が起きたとしてもその責任を引き受けられる)と判断したものだけを選び取って、相手に伝える……、そういったことをきちんと丁寧にやってきていて、それで関係がうまくいっているなら、もうそこで満足するべきだし、向こうが「"あなた"にはここからここまでを見せます」と規定した範囲外のことまで深掘りする必要はどこにもないはず。

 

 そういうわけでそのアカウントのことはすぐにブロックした。

 

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 それにしても、私の知らないところで書かれた「生きる」とか「やっぱり死だ」を思い出すと、普段はあんなにぴったりはりついている恋人の存在が急に独立したものに感じられてきて、なんだかへんな気分だ。今までずっと忘れてたけど、私たち、他人だったのね。一緒に住んではいるけど、結婚してるわけじゃないから別れようと思えばいつでも別れられるし、浮気した(された)ってたいした罪にはならない。恋人が死んだら悲しいし、絶対に嫌だとは思うけど、肉体としての真実は「切り離されたとしても生きていける」のだ。

 

 

 そんなことを考えていたらSNSのこととは全然関係ない内容で喧嘩した。すぐに仲直りはしたけど、低気圧のせいかそれ以降もいまいち気分が優れず、ずいぶん長い間昔のことばかり思い出して過ごした。自殺するかどうかの境にいた時行った熱海がとてもきれいだったこと、睡眠薬を大量に飲んで病院に運び込まれたの夏休みのこと。父親にかけられた酷い言葉……。

 

 でも私は決してそういうことを口に出して話したりはしなかった。

 

 その時たまたまいた喫茶店がとても素敵な雰囲気だったので、「いいお店だね」と言うと、恋人も「そうだね」と同意してくれて、ふたりの間ではそのやりとりだけが今日の思い出として残った。

 

 

 私たちは基本的にはすごく仲のいいカップルだけど月に一度か二度は必ずこういう日がある(もっとあるかもしれない)。恋人は宇宙の中でいちばん好きな他人だ。喧嘩しながらでもいいから、私は彼とずっと一緒にいたいと思っている。私は。