再解釈の海

 一度通り過ぎてしまった瞬間は永遠に戻ってこない。おばあちゃんに酷いことをいわれて俯いている時間、画用紙いっぱいに書いたフルーツと甘いもの、セーラームーンのプリントがしてある靴、ふつうって何?と先生に聞いた同級生、職員室の扉の前に立つときの緊張感、嫌い、おじいちゃんの家で食べる卵焼きとウィンナー、100円ショップで手当たり次第買ったキーホルダー、キラキラしてる、少女漫画のキスシーン、目の前で全部折られた細い鉛筆、学校までのきつい坂道、先輩の報われない恋バナ、ほんとうはそんなに好きじゃなかったアニメ、バレー部辞めますって言った後の気まずさ、お母さんにあんたなんか産まなきゃよかった、隣の子みたいに素直な子がよかったといわれたときの震え、刃物を隠し持つ想像でいっぱいになってる車内、不登校のくせに好きな男の子がいたこと、好きな男の子の長い睫毛、水色の絵の具で汚れた体操着、白い、少し癖のある黒い髪、短冊に書かれた「お金持ちになりたい」、プリントを後ろに回すときつい見惚れてしまって不審そうに「何?」と言われたあの一瞬、田舎暮らしの、何もない時間をただ埋め立てるだけの恋、七年ぐらいずっと好きだったのに結局降られた、ごめんなさいのメール、夏祭りの灯の下、遠目から見るあの子、自分が気持ち悪かった、それに悲しかった、何も食べられなくなってすっかり衰弱しきったあと、家中の薬を飲んで自殺未遂した、みんなに迷惑かけました、それでそれが今日みたいに暑い日だったこと、退院するとき自力で歩けなくて父親におんぶしてもらったこと、暖かくて嬉しかったこと、意識が戻ったあとではじめて読んだ本の表紙に奇麗な赤い薔薇が咲いていたこと、失恋なんかで人は死ななかったけど私は確かにあのとき生きる指針を失ったのだと思う、だからか今度は食欲が止まらなくなった、お歳暮のマフィン、ゼリー、冷凍庫のチキンナゲットやフランクフルト、お弁当用のハンバーグ、チーズたっぷりの卵焼き、ポテトチップス、クッキー、なんでも食べたかった、食べていないと穴が埋まらなかった、一ヶ月で十五キロぐらい増えたし、そのあと初めてできた彼氏とはすぐ別れた、私は人に執着する方法がすっかりわからなくなってしまっていた、二十歳を過ぎてしばらくするまで誰ともきちんと付き合えたことがなかった。

 私の中では全部強烈な実感として体に残っていることなのにあの時間軸はもうどこにも存在しない。あんなに痛かったのに。いま目の前にあること以外は何ひとつ確かじゃない。私の過去って本物?私が好きだったひとや嫌いだったひとは本当にいたのかな。それでもいまだに夢であなた方を見ます。