動く記憶の水槽

 二年ぶりの帰省だった。同じ県出身の恋人と途中の駅でさよならをした後、それまでもあった焦燥感のようなものが一気にその存在を色濃くしたように感じた。電車は動く記憶の水槽へと変わり、二年前、五年前、それよりずっと以前の私が次々体の上に降ってくる。

 

 今回の帰省には「恋人と自分の家族にそれぞれ挨拶をする」というイベントが用意されており、二人の将来を前進させるという側面においてはかなりポジティブな意味合いがあるはずだった。

 が、当の私はというと、未来のことを考えるずっと手前のところで過去に邪魔されていて、とてもそれどころではない。いろんなことを返す返す思い出しては、「ほんとうに気持ちの悪い子供でした」と口をついて出そうになった。いまにも吐きそうで溶けそうな気分。このまま消えてなくなりたいと何度も思った。

 

 そうしてずいぶん身構えていたのだが、しかし、久しぶりに降り立った駅は、私が地元に住んでいたときよりもずっとお洒落で便利になっていた。地域性の高い手仕事の雑貨屋、昔はその概念すらなかったタピオカの店(ちょっと古い?)、新しく出来た無印良品店、道を行きかう若者の古着っぽい着こなし……。

 どうしようもない田舎だと思っていた場所が、絶妙に田舎らしさを残したまま洗練されているのを見て、私は自分が古くなったような、新しくなったような奇妙な感覚に捉われた。重たいリュックを背負って、駅構内と、その近くにある商業ビルを一通り見て回りながら、少しずつ、自分の中にあった固定観念を手放していく。私の胸の内にずっとあったあの街はもうないのだ、と思うと、さみしい反面、心が軽くなったようにも感じた。

 

 母親が駅へ迎えに来てくれるまでの間、スタバで抹茶フラペチーノを飲んだ。高校生の頃は憧れの店だったけど、いまとなってはそうでもない。なんとなく敷居の高さは感じるものの、以前よりはずっと身近に感じる場所だ。ここでたまに友達と放課後におしゃべりをしたなあ、あの頃は今日みたいな日が来るって想像もできなかった、なんて感慨に耽りつつ、やることもないのでTwitterを開いてのんびり過ごす。ようやく「モード」が普段通りの自分に切り替わったように感じた。

 

 

 地元にいた頃、少しでも文化的な生活をしたくて自分なりに足掻いていたことをなんとなく思い出した。毎週必ずTSUTAYAで映画を五本借りたり、ネットで岡崎京子の漫画を取り寄せたり、車で一時間かけて美術館に行ったり、県内唯一のミニシアターに通ったり、こちらでは珍しい存在である純喫茶を探しまわったり……。

 ひさしぶりに降り立った駅は確かに昔よりずっとお洒落になっていたけど、どことなくハリボテのような感じもあって、やはり、私があの頃心底欲していた活字体のエッセンスはここにはないと実感した。というか、探せばあるにはあるんだろうけど(それこそ当時のような必死の努力をすれば)、どこまでも濃度が薄いのだ。それが濃いのが東京。東京に住んだからって必ずしも文化的な生活ができるとは限らないけれど、そこへ向かって伸ばす手の距離は確実に短くなる。

 

 とはいえ、これはあくまで街の中心部の話だ。私が実際に生まれ育ったのはもっとずっと山のほう。ちょっとコンビニに行くのにも車が必要なぐらいの、本物のド田舎だ。山と畑と田んぼ以外には何もない。しまむらやイオンすらないんだ。

 そんな場所で二十年以上過ごしてきて、唯一、友達には恵まれたけど、本当の意味で自分を救うためにはここを出る必要があるとずっと思っていた。

 

 

 私には物語が必要だった。小説や映画はもちろんのこと、現実にも。選択肢の限られた現実に物語を持ち込もうとするとなぜか必ず恋愛になった。しかし、いつかは離れる予定の街でそんなことをしても不毛である。男の人とデートしたり、振られたり、振ったりというようなことはけっこうあったが、どうせ別れると思ってしまってのめり込むことはできなかった。

 それからいろいろあって、東京に出て、暮らして、結局似たような場所で育った男と付き合っているというのは変な話だ。

 

 

 車中で私が「もし子供を生むってなったら、親の近くに住んだ方がいいのかな?」「子育て、母親の助けがないと正直きついと思う」と言うと、恋人も「まあ、やっぱりそうなってくるよね」と同意してくれた。彼は私の田舎がとても気に入ったという。いまいちピンと来なかったが、パキスタンフンザみたいだと言ってはしゃいでいた。もし私が地元に戻りたいと言ったら、喜んでついてきてくれるそうだ。そんなこと起こるはずがない、ありえない、と今までの自分だったら思っていたが、子を生むという選択肢が見えてくるとなれば話が変わってくる。

 あんなに出ようと藻掻いたのに、最終的にはここに戻ってくる運命なのだろうか?だとすると、なんだかずいぶん遠回りをしてしまったような気がする。

 でも、それもいいのかもしれない。

 今回の帰省でひさびさに自分の家族と会って、なんとなく、私は過去のいろんなことを許して忘れていけるような気がした。そしてそれは同時に、自分が許されていくことも意味する。

 

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 一歳半になる姪っ子と遊んでいたら、酔っ払った父親に「ふたりとも長女だからね、長女同士仲良くしなさいね」と言われて、なんとなくむず痒い気持ちになった。そういや私はこのひとの子供だったな、と思った。いろいろとつらいこともあったし、普通の、わかり合えている親子ではないが、結局のところはそうなのだ。

 

 しばらく帰っていないうちに、父親は写真をやるようになったらしい。何の前触れもなく一眼レフを取り出したものだから驚いた。以前、妹が「カメラ欲しいよう」とねだった時は「携帯についてるじゃん」と返していたのに。たぶん、初孫ができた影響だろう。

 父が「みんなで撮ろうか」と言うので、ひさびさに家族写真というものを撮ることになった。本当に照れ臭い。なんとはなしに幸福な気持ちで、泣きたかったけど涙は出なかった。

 

 今後の人生が具体的にどうなっていくのかはまだわからない。でも、とりあえず今回は帰省してみてよかったな、と思った。