変容していくもの

 転職しようと思っている。

 

 今年の一月末に前職を辞めてから、しばらくの間同じ業種のアルバイトをしていたのだが、だんだん、スキルも経歴も積み重なっていくことがないこの働き方が嫌になってきた。仕事自体は楽だし、場所も通いやすいところにあるし、あまり世の状況に左右されず週五日シフトに入れる(且つ、残業などで過度に働かされる心配もない)のもありがたいが、それだけではダメだったようだ。

 私はわりと自分のことを弱い生き物だと思っていて、能力自体も低いし、あまりに傷つきやすいから人と接したり働いたりするのには向いていないと決めつけていたのだが、この前恋人と喧嘩した際、それは勘違いだったかもしれないとはじめて気が付いた。


 言い争いになる直前、


「ひきこもり生活から脱してバイトを始めるとか、契約社員から正社員、正社員から現場副責任者になるとか、そういう目標があってやってきたこれまでの仕事とは違って、いまの職場はひたすら楽なだけ、ステップアップも成長もまるでない、それがつらい」


 と、自分で話しながら驚いたくらいだ。恋人も恋人で、「もうそういった視点はまるきりないもんだと思ってた」なんてふうに言葉を返していた。


 春頃、「本当にこの働き方でいいのかな。私がこうやって楽してる間にも、同世代の友達とかは着々と意義のある仕事をこなして、経験を積んでるのに…」と相談したときも、「さかなちゃんでもそんなこと考えるの?もっと私は私、周りは周りみたいな感じだと思ってた」とびっくりしていたので、たぶん、「向上心」とか「上昇志向」といったものとは無縁の人間だと捉えられていたんだろう……というか、それは自分でもその通りそう思っていたことだった。



 前の仕事を辞めるとき、恋人が「働きたくなかったら働かなくてもいいよ。俺が養うから」と言ってくれたときはほんとうに嬉しかった。自分でも「甘えて楽して暮らしていけるならそれがいちばんいいな」と思ってしまったのは確かだ。でも、実際にはそういう生活向きの体質じゃなかったらしい。

 そもそも、いまだって完全に甘えて専業主婦の暮らしをしているわけではないのだから、その時点で気づいていてもおかしくはないのだが……。


 妊娠していたり、何か病気をしているならともかく、自分がなんでもないときに経済面で誰かに頼りっきりというのは、やっぱりどうしても性格的にできない。

 いまだって家賃は全額出してもらっているし、奢ってもらうことも多いので、「面倒を見てもらってるな」とは思うが、私だって多少の生活費は負担してる。



 楽で暇な仕事がいい、というのは、それだけ言われるとそれはそうだろうと思うのだが、実際やってみるとけっこう堪える。一日八時間を週五回、なんにもないブラックホールに投げ込んでいるような感じ。日中あまり体力を使わず、精神的にも疲れるような要因がないため、余暇をたっぷり好きなことに使えるのはいいが、それで昼間無駄にした時間がチャラになるわけではない。

 一日一日を適当にやり過ごすのではなく、もう少し意味のあることをしてお金を稼ぎたいと感じた。次に就職するのだとしたら、目先のおもしろさや楽さに惑わされず、五年後、十年後を見据えた上で経験・知識を蓄積していけるような仕事にしたい。最初はアルバイトでも構わないけど、なんにせよ長期的な視点が必要だと思った。


 それで具体的にどんな職がいいか、というのはまだ決まっていない。一応、ひとつふたつ気になっている仕事はあるのだが、まだいろいろ調べて検討している段階だ。今回の転職はいままでしてきたのとかなり意味合いが違うので、焦らず時間をかけて決めていこうと思っている。唯一はっきりしているのは、前職と同じ仕事はやめておこう……ということぐらい。


 私はたぶん、普通のひとよりも転職回数(今回で五回目、ただしバイトも含む)が多く、三年以上同じところに勤めたこともないもので、自分では「ちゃんとしてない」人間だと思っていたのだが、よくよく考えてみると、その転職ごとに同職種の中で「バイト→派遣社員契約社員→正社員」とステップアップしてきたことがこの前わかった。それで「もういいかな」と思ってやめたのが前回だったので、次もまた同じ轍を踏もうとは考えられない。


 こうやって来た道を振り返ってみるとなんだかんだいって真面目なんだな、と思う。



 昨夜、また恋人と喧嘩した。お酒が入っていたので感情が昂りやすくなっていたにしても、最近多い気がする。倦怠期か?この関係、もうダメなんか?と、その直後は風呂場に閉じこもりながら考えた(心配した恋人が覗きに来た)。

 それで今朝になって気がついたことがひとつある。それは、人間が浮き沈みを繰り返しながらもちょっとずつ変化していくのと同じように、人と人の関係というのも、うまくいったりいかなかったりを繰り返しながらかたちを変えていくのではないかなあということだ。

 いまがちょうど喧嘩の多い時期だったとして、それがずっと続くとは限らない。七月に熱海へ行ったときだって、三日立て続けに喧嘩して、もうダメだと思ったりしたけど、そのあとはしばらく平穏だった。

 人間には機嫌というものがあるから、普段は許せていたことが急に許せなくなったり、なんでもないことで怒ったり泣いたりしてしまうことも、確かにある。けど、時間が経てば考えも気分も変わるのだ。


 今までは少し嫌になっただけで別れていたけれど、それはなんか違うな、といまでは思う。目の前の状態だけを見て先のことまで断定してしまうのは早計だ、ということにこの歳でようやく気が付いたわけだ。

 

 人間には変わる部分と変わらない部分があって、変わらない部分に関しては自分の好き嫌いで選ぶこともできる。



 仕事にしろ、恋愛にしろ、一歩先以上のことを考えられるようになったのが最近の私の変化であり、成長だなあと思う。