八月十九日(金)
ソフィアの宿をチェックアウトした。次に行くプラーナは山奥の村で周辺にはマーケットがないらしいので、スーパーで買い出しをしてから次の宿泊地に向かう。パン、サラミ、チーズ、トマト、きゅうり、桃、林檎、バナナ、紅茶、お菓子、赤ワイン。張り切っていろいろ買い込んでしまったが、二泊三日にしてはやりすぎだったかもしれない。
早めに買い出しが済んだので、停留所で子供の頃の記憶について話しながらバスを待った。子供から大人になる過程でだいたいの人間は身体に欠損か傷跡を負うという話をした。
昨日行ったビストリツァやゼレズニッツァを通り過ぎ、さらに奥の方へ。
バスの中に変なおじさんが乗っていて、詳細はわからないが何事かを周りの人に延々語りかけてはずっと無視されていた。あまりにもうるさいので途中おばあちゃんにキレられたり、若い男の人に降りろと怒鳴られたりしていたが、それでも話は止まない。結局一時間以上ノンストップで街宣を続け、最終的には運転手が強制で途中下車させていた。いったい何をあんなに熱心に話すことがあるんだろう、こういうかなしいおじさんはどこの国にもいるもんだな、と思った。
静かになったバスでまたさらに十五分ほど山道を行き、今日泊まるプラーナの中心地へ。バス停まで宿のオーナーが迎えに来てくれた。とても親切な人で、帰りも自分たちの所用のついでにソフィアの街まで車で乗せていってくれるという。至れり尽くせりだ。
それで今日泊まる予定の宿がこちら。
△ YOURTI MOUNTAIN EOOD
モンゴルの伝統的な移動式住宅・ゲル。
なぜブルガリアの山奥にゲルが?!と気になりすぎて宿だけを目当てにここまで来たのだが、目の前の風景を見たら予約して正解だったと思った。とにかくいい気持ち。
シャワー・トイレはもちろん、野外に清潔なキッチンも備わっている。
たまたま不具合があってWi-Fiが繋がらなかったのだが、この環境ならそれさえも利点に思えてくる。脱・インターネット。ヘルシー。
ハンモックまであった。なんでも自由に使っていいとのこと。ゲルの中は少々蒸すので、日が落ちるまでここで揺られていることに。
ものすごくいい宿だが、オフシーズンだからから私たち以外にお客さんはいないようだった。
夕飯。今日は私が作りました!
オーナーさんがくれた自家製の野菜(瓜?)と自分たちで持ってきた食糧で煮込み料理と和え物を作った。味はまあまあ。塩は偉大。
焚き火。夫が火を起してくれた。このまま暮れていくのを待つ。
火を眺めていたらいつの間にかすっかり暗くなっていた。星がよく見える。熊に襲われるのが怖いという話をした。実際、周囲には目立った家もなく、草原と山が広がるのみなので、鼠やイタチぐらいだったら出てもおかしくない。それに、庭に生えている金柑の実落ちる音が、時々誰かの足音のように聞こえた。明るいうちは開放的に感じられていただだっ広い空間が、そっくりそのまま得体の知れない闇に変わってしまったようだ。でも、その恐ろしさもまた美しい。田舎の夜にはなんともいえない根源的な恐怖が潜んでいる。
八月二十日(土)
朝早く起きてハイキングに行く予定だった。実際は二度寝してしまい、昼過ぎになって行動開始。
パンと林檎で軽く食事を済ませてから宿を出発。
近所はだいたいこんな感じで何もない草原がずっと続いている。
この丘の上に小さな教会があるらしいので、ひとまずそこを目的に歩く。周りには何もないのにすれ違うひとがけっこういた。
丘からの景色。
草の上に座って、バナナを食べながらどうでもいい話をたくさんした。旅をしていると不思議と会話の頻度が下がるのだが、ここ数日に限ってはお互いいつもより口数が多い気がする。初めて見る景色なのになんとなく懐かしい気持ちで、昔の思い出話をしながらいつまででもここにいたいような気がした。
折り返し。綿毛の花がかわいい。
途中休み休み歩いたので、合計二時間ほどかかって帰宅。今日はもともと雨の予報が出ており、ちょっと雲行きが怪しかった。
遅めの昼ご飯。雨宿りをしながら外で食べるつもりがなかなか降らない。
だんだん向こうのほうの雲模様が怪しくなってきた。雷と雨の線が見える。
キッチンの近くで日記を書いていたらこちらでも降り始めたので、慌ててゲルの中に避難した。聴こえてくる雨音がきれい。
夫が「小学生の頃、『雷は黄色いから、黄色い服や帽子をかぶってると仲間だと思って寄ってきちゃうんだよ』って言ってるやついたなあ」と話すので、「信じた?」と聞くと「信じた。理に適ってんなあと思ったよ」と答えてくれた。
雨が上がるまで読書したり短歌を詠んだりして過ごした。夫はお昼寝している。小降りになってからドアを開けたら風が涼しくて気持ちよかった。
夕飯。このぐらいの時間帯になると外が怖くなり始める。田舎で生まれ育ったはずなのになあ。田舎だとこんな時間外に出ないしなあ。
昨日と同様、シャワーは次の日の朝浴びることにした。本当に怖いんだもん。
結局この日は明け方までずっと雨だった。