サラエボ 戦争のはなし

九月十日(土)

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 十時。宿のすぐ近くで遅めの朝ご飯。ボスニア紛争について調べたり、今後の旅程について二人で話したりして過ごした。最近移動が多くて疲れていたのであとは部屋でのんびり。夫はひとりで散歩に出かけた。

 

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△街中に残る銃撃の痕


 夕方過ぎ。Kindle Unlimitedで『ナニワ金融道』を読み、去年の大阪旅行を懐かしんでいるところに夫が帰ってきた。まだ元気があるそうなので合流して一緒に街へ。紛争があったのはつい二十数年前というのもあって、ところどころの壁に弾痕らしきものを見かけた。仕入れたばかりの知識を元に、紛争に至った経緯や民族間の違いについて話しながら歩く。私は歴史に疎く、過去の戦争といえば第二次世界大戦ぐらいまでしか知らなかったのでいろいろと衝撃が大きかった。

 

 というのも、無知な私は今回のロシア・ウクライナ戦争が勃発した際に「"戦争"という"歴史上の話"、"過去の産物"が自分の生きている時代に起きてしまったことへのショック」を感じたのだが、こうして世界についてきちんと知れば知るほどこの認識がいかに間違っていたかわかってきたからだ。第二次大戦以降、ボスニア紛争以外でもさまざまな国で争いや内乱は起きており、"戦争"は全く"過去の話"なんかではない、そしてもちろん"(過去の話)だった"のがロシアの一件で急に変わってしまったわけではない……と、ここまで来てようやく理解できた気がする。というか、理解すらしない以前にそもそもとして知識が全くなかった、またはあっても整理・統合された情報として脳内に存在していなかった。日頃の興味の範疇から外れた話だから、というのはあると思うし、必ずしも知らなきゃいけないことだとも思わないが、それにしても平和ボケだなあと感じた。

 

 サラエボには戦争に関する博物館がけっこうあるので、明日はそのうちのいくつかに行こうと思う。

 

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 街の中心地。広場を何周もしながら延々と鳩に餌をやっている兄妹がいてよかった。

 

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 ケーキを食べつつ次に泊まる宿の相談。とりあえずサラエボでの滞在を二泊延ばすことにした。その後長距離バスでオーストリアのウィーンに行くところまで決定。

 

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 虹が出た。この旅がはじまってから三回ぐらい見てる気がする。

 

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 夕飯。ボスニアフードではなく、なぜかレバノン料理を食べた。お店の人たちがみんな笑顔でいい雰囲気。

 

九月十一日(日)

 外に出ると急に秋口の肌寒さだったので面食らった。朝晩は冷え込むものの、昨日の昼間なんかは半袖短パンで普通に出歩けていたのに……。街行く人をみるとだいたいの人がパーカーか軽いジャケットを羽織っており、中にはコート姿の人もいた。さすが現地の人は気温の変化に慣れている。

 

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△永遠の炎


 第二次世界大戦の犠牲者に捧げられた記念碑。一九四五年以降ずっと燃え続けているとのこと。

 

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 久しぶりにマックで朝ご飯。食べていると母親から「今どの辺にいるの?」とLINEが来た。だいたいなんて返しても二言目には治安を気にしてくる。

 

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サラエボのバラ


 迫撃砲によって人が亡くなった痕跡を、後から赤い樹脂で埋めた物。歩いていていくつか見つけた。

 

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ボスニア・ヘルツェゴビナ歴史博物館


 博物館一件目。ここでは主にサラエボ紛争に関する展示がされている。あまり大きな博物館ではないが、ひとまず基本的なところを抑えてくれそうなところへ。

 

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△1996年(紛争直後)/2011年にそれぞれ同じ場所で撮られた写真

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△PAZI SNAJPER/スナイパーに注意(1994)

 

 他、内戦時に使われた兵器や武器、銃撃から逃げる人々の写真などが展示されていた。正直よくわからない部分も多かったのだが(当時の市民の暮らしを再現した部屋?等)、想像していたよりショッキングな展示がなくて安心した気持ちもあり……。案外すぐ見終わってしまったので一旦宿の近くに戻って休憩することにした。

 

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 嬉しいホットココア。昨日あたりからずっと飲みたかった。

 

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△子供戦争博物館

 

 こちらはボスニア紛争当時に子供だった人々へ取材して作られた戦争博物館

 館長のヤスミンコ・ハリロビッチは四歳の時に戦争を経験しており、当時の経験を振り返る中で「自分だけではなく、他の人のエピソードも聴いてみよう」「そしてエピソードだけではなく、それにまつわる"物"も展示したらどうか」と思うようになったのがここの設立のきっかけだとか。入り口で受付の人が丁寧に説明してくれたのだが、英語が難しくてあまり聞き取れなかった。

 

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 このように、インタビューを受けた"その人"にとっての戦争を象徴するアイテムと、それにまつわるエピソードがキャプションで展示されている。

 

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 「人道支援でもらった物資のパッケージをたくさんコレクションしていつかギネスに載ろうと思った」などと書いてあるわりと微笑ましいエピソードもあれば、ある日突然砲撃で命を落とした親友の形見や、亡くなった人がかつてプレゼントしてくれたジャケットを寄贈している人もいた。

 

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△Ask an adult to read this story to you.(大人にこのストーリーを読んでもらおう)

 

 展示物の足下にこういったプレートが置いてあった。全部の展示物にあるわけではなかったので、おそらくショッキングすぎる内容の物は避けているものと思われる。

 

 この博物館の企画は『ぼくたちは戦場で育った』という題で本にもなっており、最後出る時に受付の人が日本語訳のものを貸して読ませてくれた。「あなたにとっての戦争とは?」という問いに対し、千もの回答が寄せられている。

 それを読んでいて改めて感じたのは、例え同じ戦争であっても、人によって置かれていた立場とそれが人生に及ぼした影響は全く違うということだ。両親を亡くした記憶についてトラウマ的に書いている人もいれば、当時好きだったアニメを回想している人もおり、個人個人の実感を一概に括ることはできない。そしてだからこそ良かったんだと思う、この展示は。生の温度がこもった"生活"と地続きの存在として戦争を感じることができたから。直接的に血を見るよりもよほどリアルだった。

 

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 けっこう重たい気持ちになりつつも早めの夕ご飯。でも行ってよかった。