クラクフ アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館に行く

九月二十六日(月)

 六時には起きた。クラクフの中心地からアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館まではバスで一時間半近くかかる。私たちは九時から始まる英語ガイドツアーを申し込んでいたので、遅くとも七時過ぎには駅に着いていたかった。

 

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 ひさびさのバスステーション。七時二十五分発、アウシュヴィッツ行きのバスに乗車した。もっと人がいるかと思ったのだが、意外と混んでおらず、私たちの他に乗っていたのは二、三組だけだ。今はバスツアーを申し込む人の方が多いのかもしれない。

 昨日は緊張してあまり眠れなかったので、バスの中ではずっと目を瞑って過ごした。ポーランドに着いたばかりの時からずっとこのことを意識してきたけど、実際に行ったらどのぐらいショックを受けるのか、あるいは意外と平気でいられるのか、自分でも予想がつかない。私は実際の歴史を知るのと同じぐらい、そこに立ったことで自分が何を感じるのか、どんなことを考えるのかについて関心があった。そして、もしそうでなければ直接足を運ぶ気にはならなかったかもしれない。この歴史をどう受け止めるかによって、自分の中にある尊厳・尊重の感覚や、人権意識等、人間として大切な価値観のすべてが問われるような気がしていた。



 行ってきた。ひたすらにショックで、何から言葉にしたらいいのかわからない……。

 が、だからといって「書けません」で終わりにしてしまうのは自分の主義(これはどちらかというと言葉との付き合い方という意味)に反するので、拙くてもいいから生の実感を残しておきたいと思う。ひとまず箇条書きで書いておいて、余裕があったらあとで加筆修正するか、別で記事を上げ直す……かもしれないです。このブログの性質上、歴史的事実の紹介というよりはあくまでも個人の主観による「感想」がメインになるので、読んでいてわかりにくい部分や説明不足な点があったらすみません。まあ普段からそうですが、今回は特に個人的な日記メモです。


・一番悲しかったのは、被収容者から没収した品々の中に、膨大な量の食器が含まれていたことだ。元の住処は追われるにせよ、強制移住の先に少なくとも「生活」のようなものがあると信じてみんなここにやって来たんだな、と思うととてもやり切れなかった。

・積み上げられた大量の義肢。パンフレットに書かれた「選別」という言葉の適切さが恐ろしかった。機械的に、不良のパーツをはじくようにして人が人を殺していったのだと思う。

・博物館を出た後、夫が「あの施設が四年も稼働していた事実が恐ろしい」「最後に被収容者が解放されたのも、無理をきたして内部から崩壊したからとかではなく、戦争の終わりという外的な要因がきっかけだった」と話してくれたのが印象に残った。悪意や憎悪というよりは、むしろ完璧な「システム」「仕組み」によって処分されていった人々。戦争が終わらない限りはずっとあの悪夢が続いていたのかもしれない、そう感じるほど徹底的に工場化された空間だった。

・被収容者から刈り取った二トンの髪の毛、高く積み上げられた子供用の靴、眼鏡のフレーム、旅行用トランク。どれも見るに堪えない。

・第六棟の廊下に張り出されていた、大量の被収容者の写真。下部に記された収容日はまとまっていることが多くても、亡くなった日付に関してはけっこうばらつきが多く、それぞれの体が経験した時間の長さについて思った。早い人で数ヶ月、長い人では一年以上生きた場合もある。でも、結局のところは全員死んでしまった。

 

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△ビルケナウ/引き込み線路


 ビルケナウを後にするとき、アウシュヴィッツに戻るシャトルバスの中でこの入場門と引き込み線路を見て、途方もない感情に襲われた。多くの人があそこから出られないまま一生を終えたのだ、と思うと、いま普通に博物館の見学を終えて街に帰ろうとしている自分の身が信じられない。時代によって生かされている、というようなことを思った。


 施設内は二箇所を除いて撮影OKだったので、他にも何枚かカメラに写したけれど、見返しているだけで苦しくなるからブログには載せない。



 夕方頃。暗い気持ちになりつつもバスに乗ってクラクフの街に戻ってきた。お昼ご飯を食べている時間がなかったので相当にお腹が空いている。

 ショックにはショックだったけど、結局泣くことも吐くこともなく、ある程度自分と切り離して展示と向き合えてしまったことがけっこう辛かった、でも、正常だとも思う。

 

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 前から行きたかったウクライナ料理のお店で夕飯を食べた。メニューにボルシチがあったので、思わず「ボルシチってロシア料理じゃないの?」と質問。夫が「いやそれも揉める要因なんだよ」と教えてくれた。どうも発祥はウクライナらしいのだが、世界的にはロシア料理として認知されているのでそこでまたいろいろ思ったり言ったりする人がいるらしい。自分の身に置き換えて考えたら簡単に「そんなことで」とは言えないけど、それにしてももっと平和な世の中になってほしいものです……。ちなみに料理は全部美味しかった。