カミーノ ストレスは林檎を美味しくする

九月二十九日(木)

 カミーノ巡礼一日目。外から雨の音が聞こえる。六時過ぎに自然と目が覚めた。夫も含め、同じ部屋の人たちはまだ寝ているみたいだ。誰かが起き出す前にこっそりパジャマからジーパンに履き替えて、ぼちぼち荷造りをはじめた。

 廊下に出てトイレに行くと、もう出発の準備を終えて出て行こうとしている人たちが何人かいる。

 

f:id:shiroiyoru:20220930014301j:image


 猫が雨宿りしに来ていた。人懐っこい子だったので三撫でぐらいさせてもらってから部屋に戻る。すると今度は同室の大部分の人が起き出していた。唯一まだ寝袋の中でモゴモゴしていた夫を起こし、引き続き荷造り。


 あらかた準備してキッチンに行くと、出発前の腹ごしらえをしている人たちで賑わっていた。私たちもフリーの珈琲とパンをもらって軽く朝ご飯にする。たまたま同じ机についたお兄さん三人組がイスラエルから来たんだと教えてくれた。好意で卵を分けてもらったりしながら(ありがたい)、ちょっとお話。みんなバチバチにピアスが開いていて一見怖そうに見えたけど、優しい人たちでよかった。

 

f:id:shiroiyoru:20220930014546j:image


 出発!

 昨日、明日の朝七時半にもう一度巡礼事務所に来るよう言われていたので、まずはそちらへ。

 これから私たちが歩く「フランス人の道」には初日に山を登る行程があるのだが、連日の悪天候でかなり道が危険になっているため、そちらは避けて迂回ルートを行くように言われた。昨夜同室のお姉さんも「山のほうはすごく危険だよ、今日は三人引き返してきたらしい」と話していたし、今も雨が降っているのを考えればまあそうだよなと納得。私はほとんど山登りの経験がないし、夫は夫で「フランス人の道」を歩くのが二回目なので、大人しく迂回ルートを行くことにした。

 

f:id:shiroiyoru:20220930014629j:image

 

 この門を潜って巡礼スタート。近くの教会に立ち寄り、二人で一日の無事を祈った。

 

f:id:shiroiyoru:20220930014641j:image

 

 八時。ようやく空が白んできた。山ルートと迂回ルートの分岐点で前者を選ぶ人がけっこう多く、ビビる。夫は「いいなあ」と後ろ髪を引かれている様子だったが、「初日から無理はしたくない……頼む!」という一心でどうにか迂回ルートからのスタートを押し通した。

 

f:id:shiroiyoru:20220930014703j:image
f:id:shiroiyoru:20220930014654j:image


 雨は降ったり止んだりで、ずっと微妙な天気だ。羊たちも大変だな。

 

f:id:shiroiyoru:20220930014744j:image


 九時ちょっと前。今日の目標の町まであと十八キロ!

 

f:id:shiroiyoru:20220930014829j:image


 この風景を見て「栃木を感じる」と言ったら同じ県出身の夫から反論が飛んで来た。私が生まれ育ったのは山間のほうなので、奥まったところまで行くとわりとこんな感じのところがよくある。時々漂う牛舎の匂いも懐かしかった。小学校の同級生に酪農家のうちの子がいて、よく下校中に登校班のみんなで家に立ち寄っては搾りたての牛乳を飲ませてもらったのを思い出す。

 

f:id:shiroiyoru:20220930014919j:image


 巡礼路の目印となるホタテ貝のマーク。道のいたるところにある。ないところで迷っていたら地元のおじさんが「あっちだよ」と身振り手振りで教えてくれて救われた。

 

f:id:shiroiyoru:20220930015735j:image


 九時半。途中の町で一度目の休憩。ホットココアを飲んで、昨日スーパーで買ったサンドイッチとバナナを食べた。歩き始めて二時間しか経過していないのでまだまだ体力に余裕がある。

 

f:id:shiroiyoru:20220930024546j:image


 十時四十分。残り十二キロ。全行程で二五キロあるので、約三時間半で十三キロぐらい進んだみたいだ。

 平地では私のほうが足が速く、坂道では夫のほうが速いので、その時々のコンディションで算数の例題みたいに帳尻を合わせながら歩いて行った。

 

f:id:shiroiyoru:20220930024700j:image

 

 荷物を整理するついでにちょっと休憩。雨宿りできるいいスペースを見つけた。長く休んでいると体が冷えて危険なので、適当なところで切り上げてまた歩き始める。

 

f:id:shiroiyoru:20220930015619j:image

 

 ずぶ濡れの犬。

 

f:id:shiroiyoru:20220930015639j:image


 十二時。この辺から自然道を歩くことが増えた。急な坂道も多く、体力がない私はゼエゼエハアハア。しかしこの雨の中ではまともに休憩することもできないので、ひとまずは我慢……。



 広い国道に出たタイミングで適当な場所を見つけて少し休んだ。地べたに座るのももう気にならない。全身ずぶ濡れで、靴下を絞ってみると水がボタボタ滴り落ちた。

 後ろから追い越していく人たちに挨拶したり、「ブエン・カミーノ(カミーノがんばれ)」と言い合ったりしながらしばしその場でぐったり。しんどいけど、このしんどさを分かち合える相手がたくさんいるとまだ気持ちが楽だなと思った。

 

f:id:shiroiyoru:20220930015655j:image

 

 十四時。相変わらず坂道の連続で、あれから立ち止まることが増えた。一度座ると逆に後がつらいため(腰が悪いおじいちゃんがよく言うやつだ……)、杖に重心を預けて立ったまま休む。先を行く夫に何度も振り返って止まってもらいながらできるだけ自分のペースを保って進んだ。


 が、もう無理!!これ以上はやべえよ!!


 と、急にキレる瞬間があり、数百メートル先にいる夫に向かって思わず叫んだ。「お腹すいた!!林檎食べよー!!!」って……。

 だってよく考えたら朝から食パン一枚とバナナ一本、サンドイッチしか食べてないし、疲れ以前の問題として明らかにエネルギー量が足りていない。その辺にちょうどよく苔むしている切り株があったので、雨水に濡れるのも構わずバックパックを放り出してそこに座り込んだ。泥で服が汚れるのももうどうでもいい、クソが!ファック雨!ファック風!おしりぺんぺーん!!


 という気持ちでかじりつく林檎の美味しさよ。


 いやー、あれは感動したね。瑞々しくて甘い。そして何より歯応えから生きてるという実感を得ることができた。ついでに持っていた板チョコも半分ぐらい食べて、気力・体力共にかなり回復。夫もそろそろ限界だったと言っていたので、思い切って声をかけて良かったと思った。


 これ以降はまたやる気が出て、「迂回ルートで良かったね」「山のほうに行ってたら死んでた」と雑談をしながら進んだ。残り二キロ、まだまだ坂道が続くようだけど頑張れる。

 

f:id:shiroiyoru:20220930024751j:image

 

 十五時。ようやく山のてっぺんに到着。あとは一キロ程道を下るだけだ。何でこんなに一生懸命登ってきたのに下んなきゃならない?という理不尽な思いもありつつ、でもやっぱり終わりが見えてきたことでホッとした。

 

f:id:shiroiyoru:20220930024801j:image


 十五時四十分。目的の町・ロンセスバーリュスに到着。疲れた〜!

 大きなアルベルゲが街の入り口に建っているので、さっそくチェックイン手続きを済ませて今日の寝床と夕飯を確保した。宿泊費が一人十二ユーロ、夕飯が十一ユーロ。計五十ユーロ(約七千円)と聞くと高く感じるけど、諸々込みでこの値段なら実はそんなんでもない。と、夫が言ってた。夫がお金出してるからな。

 割り当てられたベッドに使い捨てのシーツを敷いて、荷物を片付けると速攻シャワーを浴びた。冷えた体に熱い湯が染みる。



 夕飯の時間まで余裕があったので、ベッドで寝袋にくるまってひたすらゴロゴロした。さすがに多少はマシな道になるとはいえ、明日もまた同じぐらいの距離を歩くんだと考えると震える。でも、なんか楽しいな。

 夫は近くのバーまでビールを飲みに行った。元気だなあ。

 

f:id:shiroiyoru:20220930025733j:image
f:id:shiroiyoru:20220930030725j:image

 

  待ちに待った夕ご飯。ピルグリムメニューと呼ばれる巡礼者向けのディナーだ。これがあると知っていたからがんばれた。ほんとに。チェックイン時に渡されたチケットを持って近くのレストランまで食べに行った。他の巡礼者たち一緒にテーブルを囲んで食事するのだが、隣り合った人がどこから来たか、どんなスタイルで巡礼をしているのかについて聞くの楽しい。同じ時期に同じ道を歩くということで自然と親近感が湧き、なんとなくいつもより親切になったり、卑屈にならずに人と接したりできるのがカミーノのいいところだと思った。

 

 一日歩いて疲れたけど、まわりの人からいっぱいポジティブなバイブスをもらって気持ちよく就寝。明日からもがんばる。