うまくいけよ

 ここ最近はけっこう混乱していた。

 

 昨年の十一月末に長い新婚旅行から帰ってきて早二ヶ月。

 帰国の数日前に大好きな祖母が亡くなり、しばらくは落ち着かない日々を送っていたが、四十九日が過ぎる頃にはそれなりに心の整理もついた。他の家族も傍目には安定しているように見える。悲しいけど、まあ年だったしね、覚悟はしてたからね、と母が折に触れて言うので、私もその度にうんうんと相槌を打った。人が死ぬのは悲しいけど、だからといって泣いてばかりいるわけにもいかない。

 四十九日の前日はクリスマスイブだったので、実家に夫も呼んで生きてるみんなでパーティーを開いた。私が唐揚げ、妹がハンバーグを作り、あとは買ってきた総菜とお寿司で簡単にやる。スーパーのだけど、お母さんがチーズケーキとチョコレートケーキも用意してくれた。どっちもホールのやつ。食卓に出した瞬間、今年社会人になったばかりの弟が「チーズケーキ全部食べてもいい?」といまだに旺盛な食欲を見せつけてくる。楽しい。

 こんなの不謹慎かもしれないとも思ったけど、お通夜の時におばあちゃんの弟(おばあちゃんは八人兄弟の下から二番目だったらしい。一番上のお姉さんと一番下の弟だけが今も残っている)が涙ぐんでいるのを見て、こうして家族全員が顔を合わせられる機会をもっと大切にした方がいいなあという、すごく月並みなことを感じた。だから良かったのだ。

 

 四十九日が終わるとすぐに引っ越し作業が待っていた。たまたま良い物件に巡り合えたのもあり、どこに住むか決めるのは簡単だったけど、いちばんの難関はそこから先だ。できるだけお金を節約したいという考えから作業は全部自分たちで行うことになった。地元のレンタルスペースに預けていた荷物を運び出し、夫と二人三脚でハイエースを運転、新居に着いたらまた荷物を運ぶ。体力面の疲れもさることながら、作業中、住人のおじさんにいきなり理不尽な理由で怒鳴られたのがけっこう辛かった。ひとりだったら怖くて泣いてただろう。二人だったから耐えたけど。

 しかしおじさんから受けた傷はすぐ別のおじさんが癒してくれるものだ。はじめは「この辺ってけっこう治安が悪いのかな?」「ああいうひとばっかりだったらどうしよう」と不安な日々を過ごしていたが、ある時近所の居酒屋で知らないおじさんがたいそう親切にしてくれて(混みあった店内で席を譲ったり、注文方法を教えてくれたり)ようやく心が和んだ。夫がおじさんに「実は引っ越し初日にこんなことあって……」と話すと、「え?それって具体的にいうとどの辺であったの?やだなあ」と怯えた様子を見せるので、怖い人が怖いのはどの年齢でも同じなんだな、となんとなくホッとした。おじさんだって怖いおじさんは怖いんだ。みんな怖がってるので、あのおじさんは怖いのをやめてください。

 

 そんなこんなで新居が決まり、引っ越しも済んだら次は仕事探し。しかしこれがなかなか難しい問題で、気持ちとしてはすぐ働きたいのに三が日が明けるまでは面接を受けることすらできない。けっこう焦った。焦ってもしょうがないことなので、余計焦った。しかもいざ時が来て面接を受けてみると今後は合否の連絡が異様に遅い。いや、遅いっていうか、遅くもないんだけど、私の心が焦りで高速反復横跳びをずっとしてるものだから対比ですごく遅く感じる。それで二件受けたうち結局一件は落ちて、もう一件は受かっていた。でも実はまだ働き始めてないのだ、この期に及んで。業務内容がなかなか特殊だから一度体験入社を挟んでから正式に雇用契約を結びましょう、という話になり、当初の想定よりだいぶスタートを切るのが遅れている。焦る。その一方、どうせそのうち必ず働くことにはなるのだから、今ある自由を楽しもう、みたいにも思う。

 

 そういうわけでここ数カ月はずっと泣いたり笑ったりしながら過ごしていた。

 新しい町、新しい家、新しい仕事、と何もかもが一変していく中でただ夫との関係性だけが不動のままそこにあり、ちょっと変な感じ。夫がいなかったら崩壊していただろうな、と思う反面、夫と出会ってなかったら発生していなかった状況でもあるのを感じ(祖母の死以外)、運命って不条理だなと思った。結婚って安定に入ることだと思ってたのに、私たちは婚姻届けを出してすぐに家を捨て、仕事も辞めて言葉すら通じない海外へ飛び出したわけだ。それでまたこうして帰ってきて今度こそはと新しい居場所を作り出そうとしている。スクラップ&ビルドって感じ。安定の前にとりあえず一回崩壊を挟む感じが私たちらしい。どうしたらいいのかわからず不安になることもあるけど、ちょっとずつ前に進んでいけたらいいな、と毎日のように思う。毎日のように言う。

 

 「新居にはダイニングテーブルとそれにぴったりの椅子を置きたい。そしたらテーブルにはかわいいテーブルクロスを敷く。さらにはその上に素敵な花瓶を置いて、いつでも花を飾れるようにしておきたい」というような夢を、ちょっと前、友達に向かって語った。今のところこの夢はけっこう良い線まで叶いつつある。だって今日、やっとテーブルクロスが届いたのだ。ネットで見たのとはちょっと色味が違っていたけど、いざ広げてみるとなかなか空間に調和してくれた。こうやって生活を美しく飾り立てることに注力できるのは幸せだと思う。ささやかだけど確実に満足感があるし、これが上手くいかなくて泣く、というようなこともない。

 

 環境に適応するだけで精一杯だったから、最近はあまり創作行為に気持ちが向かなかった。月に詩を一篇書いてココア共和国に投稿するのがやっとだ。それ以上やるのはけっこう無理やりな感じになってしまい、あまりおもしろくない。それに、毎月必ずひとつ、と決めて書く詩を並べて眺めてみると、その時々で自分の心がどんな状態にあったかわかる気がしてなんかよかった。そんな健康診断みたいなことに他人を付き合わせていいのかって気もするけど。

 

 でもあたし、どんなにつまらなくても個人的なことしか詩に書きたくないし、つまんなくてもいいから個人的なことを何でも書いてくれるひとが好きなんだよね。それで日記文学とか好きなんだし。

 と、酔っぱらって夫に話しながら、新しいレールの上で試運転している自分を感じたりする。このまま何もかもがうまくいきますように。