初盆

 昨年の夏、母方の祖母の初盆があった。慣れない法事だ。酷暑ということもあり、どうせ身内しか来ないから喪服は用意しなくてもいいと言われたが、なんとなく気になったので手持ちの中でいちばん黒いワンピースを着ていった。それで実際他の家族がどんな格好をしていたかは忘れたが、少なくとも母は普段よりきれいな格好をしていたような気がする。となると、父親や弟もワイシャツぐらいは着ていたのだろうか。覚えていない。弔問客の中には八月の最中だというのにスーツ姿で来ていた人もいて、ちょっと驚いた。でも、考えてみればそういうものなのかもしれない。私はこの歳になるまで身内の死を経験せずに生きてきてしまったので、法事にまつわる常識がいまいちよくわからない。

 

 家族の中で唯一、妹は第二子の出産を間近に控えており来なかった。振り返ってもこの時の写真が一切出てこないのはおそらくそのせいだ。いつもは幼い姪っ子が大人たちの間をちょこまか駆け回り、場を和ませてくれていたが、それがなかったために終始色彩を欠いたような雰囲気が漂っていた。

 

 とはいえ私も別に義務感だけで法事に顔を出したわけではない。昔ながらの亭主関白だったおじいちゃんのことはあまり好きではなかったが、妻に先立たれたとあってさすがに弱っているのではないかと思い、心配もしていたし、第一に、肝心のおばあちゃんのことは大好きだった。たくさんお世話になった思い出もある。それがふとした拍子に何かでこじれてしまい、子供っぽい意地からしばらくこの家を遠ざけていたことをいまさら悔やみたくなる気持ちもあった。

 しかしそんなことは思っていても口に出せるものではない。

 私はそんな感じだし、父も弟も無口な中で、母だけがおじいちゃんや叔父さんを相手にいつまでも何かをしゃべり続けていた。我が家はずっとこんな感じだ。

 

 おじいちゃんはおじいちゃんで、歳をとってからよくにこにこしていることが増えていた。昔はもっと厳格な雰囲気で、不機嫌そうな顔をしてることが多かったのに。煙草の吸い過ぎで肺を悪くしてからというもの、だいぶ性格が丸くなったようだ。いいことのようでいて、私はなんとなくそんなおじいちゃんを見るのがイヤだった。頑固だったはずのおじいちゃんがそんなふうに簡単に老いを受け入れているのを見ると、なんだか泣きたくなる。

 

 お坊さんが帰った後、みんなで居間に引っ込んで昔のホームビデオを見ることになった。法事であっても変わらずにこにこ顔のおじいちゃんが言い出したことだ。しかもよく聞くと、特に私に見せたいと思ってわざわざ今日のために引っ張り出してきたらしい。

 そう聞いてまず頭に浮かんだのは、幼い頃の自分が妹と音の出る貯金箱で遊んだり、祖父母の家の周りで飛んだり跳ねたりしているところだった。そういう内容のテープだったら成長してからも何度か見せてもらった記憶がある。

 しかし実際におじいちゃんが見せてくれたのは、二十年以上前に祖父母宅の新築祝いをした時の映像だった。どこかのタイミングでビデオテープからDVDに焼き直したらしいその情景は、かなり古ぼけていて、中にいる人たちの顔だけが新しい。今もある二階の部屋に二、三十人の親戚や知人友人が集まって、楽しく食事をしながらカラオケ大会を開いていた。中央に置かれたカラオケの機械から古い演歌や歌謡曲が次々流れる。なんとなくその歌詞に注意を払ってみるとそれが意外と不倫の歌だったりするのだが、昔はそういうものだったのだろうか、みんな親戚の前だろうと気にせず真剣な表情で情愛を歌っていた。

 

 そんな光景の、ほんとうに隅っこの方に生まれたばかりの私がいた。真っ白な服を着て、父親の腕の中でうたた寝をしている。はっきり言ってあまりかわいい顔ではなかった。へちゃむくれというか、赤ちゃんなのにどこかおばあちゃんっぽいのだ。

 だけどそれでもなんとなく、自分ではない何か尊い別のものがそこにいるような感じを受けた。近くのレースカーテンから初夏の光が差し込んで、とても気持ちよさそうだ。

 

「ここに映ってる人たち、もうみんな死んじゃったね」

 

 ビデオを見ながら母が言った。画面に映る人が変わるたび、どんな人だったかとか、なんで死んでしまったのかとか、とにかくいろいろ話してくれるが、私が覚えている人はほとんどいない。

 でも、そう聞いてなんとなく痛切に感じるものがあった。

 基本的に、身内というのは特別なことが起きない限りどんどん減っていくものなのだ。歳を重ねれば重ねるほど、自分にとって大切なひとや、深い繋がりを持った他者の数は少なくなっていく。ビデオには当然、元気だった頃のおばあちゃんも映っていた。

 

 最後に映像が切り替わる。今度はぜんぜん別の場面で、歩けるようになったばかりの私が一生懸命立ちあがろうとしているシーンだった。顔はほとんど泣く寸前で、かなりめちゃくちゃだ。やっぱりかわいくはない。画面の外にいるおばあちゃんの笑い声が聞こえた。

 

「どうだい、自分がこんなに価値がある存在だって思ったことなかっただろ。な?」

 

 全部見終わった後、おじいちゃんが私に向かってそんなことを言ってきた。やっぱり笑顔で目が細くなっている。そのせいで余計に逃げ出したくなった。悪さをして怒られた時なんかより、ずっとなんて答えたらいいのかわからない。歯切りの悪い返事をしながら頷いていると、おじいちゃんは繰り返し何度も同じことを言ってきた。たいへん居心地の悪い時間だ。仮におじいちゃんが伝えたかったことをほんとうの意味では汲めてないのだとしても、私はそれ以上のことを強く感じ取ってしまっていた。そしてそれはこんなに心の距離感が空いた関係にはそぐわない内容のことだ。

 

 私は新しい命だった。

 

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 それから半年経ち、妊娠が判明した。もともと子どもは好きだし、いつかは欲しいと思っていたのでものすごく嬉しかった。しばらくはつわりの症状が酷く、ベッドから起き上がるのさえやっとという状況だったが、それでも日々お腹の中で子が育っていると思うと幸せ以外の何者でもない。普段は歩くだけでも吐きそうなコンディションなのに、病院で赤ちゃんの無事を確認するとその直後だけ元気になってしまうので、夫には通院のたびに笑われた。

 

 横になって何もできないでいる時間はたいてい、病院でもらったエコー写真を眺めたり、育児関係の本を読んだりきて過ごす。他にもいろいろとやりたいことあるはずなのに、不思議とそんなことしかできなかったし、やる気になれなかった。来る日も来る日も苦しみながら赤ちゃんのことばかり考えて、私は自分のアイデンティティがゆるやかに破壊されていくのを感じた。自分は腹で子を育てる動物であり、それ以外の人間らしいエッセンスは消え失せてしまったのだと思った。私の惨状を見て、だいたい夫も同じようなことを口にした。しかしそれでもまあ、良かった。苦痛だとしても耐えられるだけの理由があったからだ。

 

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 二月に入り妊娠初期の終わりが見えてくると、少し体調が良くなって、活動的に動き回れる時間も増えてきた。でも、相変わらず世界の中心は赤ちゃんだ。元気になったらアフターヌーンティーに行ったり、ひとりで映画を観たりしたいと思っていたのに、いざとなると真っ先にやりたくなったのはベビー用品を手作りすることだった。おそろしい。おそろしいと口では言いつつ、いま人生でいちばん楽しみなことは赤ちゃんのお世話をしたり、離乳食の献立を考えたりすることなのだ。止められない。

 

 そういう自分を冷静に振り返ってみると、母親なんてつまらない生き物だなあと思う。これまで好きだったこと、積み重ねてきたこと、自分らしい要素を全部二の次にして、別の名前の何かに進化しようとしているような気さえする。昔はこんなふうになってしまうのが嫌で、母親向きなタイプだと思われることすら苦痛だったが、実際いまの私は平凡になることを進んで受け入れていた。

 

 このまますべてが順調にいけば、夏の終わりにはかわいい赤ちゃんに会える。いまはそれだけが幸福の光だ。私はなんの迷いもなく新しい命を生む。