日記

 たまにはふつうの日記を書こうと思います。別に、今まで書いてきたものたちだって日記と呼べなくはないのですが、なんだかもっととりとめもないことを綴ってみたいような気分になったのです。

 今年の夏に高野悦子の『二十歳の原点』を読んで以来、私は日記というものに強い憧れを抱いてきました。大切な友人との間に起きた出来事や、自分のなかでもいまいち整理のついていない心の動きについて綴るためだけに存在する、秘密のノート。流動し続ける感情と思想は錯乱を巻き起こし、吐き気を感じるような混沌と、透き通るほどの明晰さを繰り返す。とても他人様に見せられるような有様ではないのだけれど、だからこそ言葉の持つ真実性が高い。そんな文章を、私もいつかひっそり綴れたらなあと思います。

 実を言うと、いまもスケジュール帳の週間カレンダーにメモ程度の雑記は書いているのです。でも、それではちょっと物足りない。やはり、日記帳は日記帳として別で持ちたいじゃありませんか。それに、書き綴りたいと思うような感情の量が毎日変動しているのに対し、週間カレンダーのスペースは常に一定です。これはとても不自然なことです。日記というのは、気分によって書きすぎてしまったり、たまに三日坊主になってしまったりするぐらいがちょうどいいと思うのです。

 さてそういう事情があって、最近、私は日記帳に適したノートを物色するのに凝っています。でも、これがなかなか難しい。普通の大学ノートでは味気なさすぎるし、なにより薄さがたりない。すぐに使い切ってしまうようでは愛着がわかないような気がして嫌なのです。

 それに、はじめから日記帳と銘打たれている商品にもあまり心惹かれません。私は何の変哲もないノートに自分自身で「日記帳」という名前・役割を与えたいのです。そのほうが特別感があるからです。

 ちょっぴり重厚で、ほどよく自由で、とびっきりかわいいデザインのノートが見つかればいいのですが、なかなかうまくいかず、あちこちの雑貨屋さんを彷徨する日々です。

 「日記」を書くつもりが、結局「日記についての文章」を書いてしまいました。