お母さんには秘密

 とても好きなひとができたことを、お母さんにはまだ黙っている。

 「男の子のために何かをするなんてまっぴらごめん」そんなふうに思っていたはずのこのわたしが、最近料理の研究ばかりしているのは、そのひとせいなのだということを、お母さんにはまだ黙っている。

 付き合っている男の子に「コンタクトにしなよ」と言われて、反抗心からもっとダサい眼鏡に買い替えてしまうような女の子だったわたしが、今日、髪を切ったのは、誰かの好みに合わせてのことなのだということを、お母さんにはまだ黙っている。

 好きなひとの喜ぶ顔が見たい、というだけの話ではない。相手に関することで手を動かしたり、いろいろな計画を立てたりしていると、なんだか満たされたような気分になって、とても心が安らぐのだ。そしてだからこそ、精いっぱい心を尽くしたいと思える。そういう気持ちについて、お母さんにはまだ黙っている。

 肉親に恋愛の話をするのは、なんだか気恥ずかしい。これまでのわたしにとって、それは知られてはいけないことを家庭に持ち込むような行為だった。恋愛はどこか不純なものであるような気がしていたのだ。

 でも、いまは違う。あのひとのことを考えているとき、わたしは自分のことをとてもうつくしい生き物のように思う。そして、そんな気持ちで彩られた生活のことをとても贅沢なものに感じるのだ。

 わたしはいつか、お母さんにありがとうと言いたい。こういう幸福を知ることのできる動物として生まれてくることができて、本当によかったと思うから。

 恋愛と家庭。別物だと思っていたふたつが、底のほうで繋がりはじめたのを、わたしは静かに実感しつつある。

 お母さんがもう処女ではないことを、お祖母ちゃんはとっくに知っていて、しかも当然のように受け入れているのだ――そのことにはじめて気が付いたとき、かつてのわたしは驚いて声も出せなかった。生活のなかの、特に愛おしい部分のひとつとして、孫としてのわたし、娘としてのわたしを守ってくれている、その本当の意味、尊さ。

 ふたりが共有してきた秘密の一端を、自分も確かに抱えて生まれてきたのだと考えると、なんだか不思議な心地さえした。そして、ほんのすこしだけ不安にも思った。その頃のわたしはまだあのひとに出会っておらず、彼女たちのゆるやかな共犯関係にうまく加わっていける自信がなかったからだ。

 あれからしばらく経って、わたしはいま、お母さんと親友のような関係になりたいと願いはじめている。照れながらだっていい、ただ素直な気持ちで、好きなひとの耳のかたちについて話ができるようになればしあわせだなあと思う。