九月十五日(木)
今日は昨日よりも早く起きた。夫婦共にだいぶ疲れており、二度寝したい気持ちは山々だったのだが、まだ行きたくて行けていない場所がいろいろあることを思うといてもたってもいられない。特に今回の目玉のシェーンブルン宮殿は遅くなると混んでいそうなので、出来れば開館の時間に合わせて向かいたかった。
簡単に身支度をして、バナナとパンで軽く朝食を食べたら即出発。途中スーパーに寄ってレッドブルと昼ご飯用の惣菜パンを買った。エナジードリンクなんて久々に飲んだな。効果が出たのかすぐさま体が火照り出したのでびっくりした。
九時過ぎ、シェーンブルン宮殿に着いた。ここも長らくハプスブルク家の所有物だった建築物だ。マリア・テレジアの時代に大幅な改装が行われ、マリー・アントワネットが幼少期を過ごした場所としても知られる。
ちなみに一枚では収めきれなかった部分が左右でこれだけある。後で調べたら宮殿全体で千四百四十一室も部屋があるらしい。その中で公開されているのはほんの一部分のみ。
馬車が絵になる。
そういやアルバニアの馬はその辺に糞を落としまくっていたけど、ウィーンではまったく見かけないな、街中でも馬車けっこう歩いてるのに……と不思議に思ってよく見てみたら、お尻の下あたりに糞を受け止めるための頑丈な袋が吊るされていた。どうでもいいな。
どうでもいい話は置いておいて、さっそく宮殿内の公開されている部屋を見てきた。写真撮影は禁止だったので、印象に残った部分を言葉で書き留めておこうと思う。
意外に質素な感じのするフランツ・ヨーゼフ一世の執務室や、幼い頃のモーツァルトが演奏を披露したといわれる鏡の間や、巨大なシャンデリアが吊るされている大広間(音声ガイドを聴いていたらワルツが流れてきたので、思わず夫の手を取って一瞬踊った)……本当にどれも良かった。が、私の中でいちばん刺さったのは、マリア・テレジアが亡くなった夫・フランツ一世を偲ぶために作った"漆の間"だ。壁一面の、真っ黒な漆に金で描かれた繊細な風景画と、それを縁取るロココ調の金箔の枠。西洋美と中国的な美が一体となった一室に足を踏み入れた瞬間、見事に心を奪われた。部屋が作られた経緯もロマンチックで良い。この時代の貴族の結婚というと政治絡みの話が多い印象だったが、マリア・テレジアとフランツ一世のように深く愛し合っていた夫婦もいたのだな……と思うと心が温かくなった。
また、これ以外にもアジアテイストの部屋はいくつかあり、「中華ロリータというと新しい感じがするけど、本家はもうとっくにやっていたんだな」という面白さもあった。
宮殿内を巡った後は庭園を散歩。こちらも相当に広かった。道の端にベンチが点在していたので、花を見ながらパンを食べて少し休憩。
△ネプチューンの噴水池
奥に進んでいくと噴水がある。ローマ神話に登場する海の神・ネプチューンをモチーフにした彫刻が見事。
噴水の裏手に回ることもできた。流れ落ちる水越しに見る庭園も素敵だ。
△グロリエッテ
さらに先へ進むとちょっとした小高い丘があり、その頂上にこれがあった。元は来賓をもてなすための饗宴・祝宴ホールとして使われていた建造物で、今はレストランになっているようだ。
庭園も含めてシェーンブルン内をすべて巡った後はバスに乗ってまた別の宮殿へ。ウィーンパスでフリーに乗り降りできるホップオン・ホップオフバスという観光バスが便利だ。名前かわいいね。
本日二つ目の宮殿、ベルヴェデーレ。敷地内に上宮と下宮二つの建物があり、私たちはまず有名な上宮のほうから巡ることにした。中は美術館になっている。
展示物以前に建物の内装がすごい。シェーンブルンの中が色彩豊かでロココ全開だったのに対し、ベルヴェデーレは全体が白でまとまっていてシックな印象を受けた。夫は物足りないと言うが、私はこちらのほうが好みかも。
豪華絢爛な大理石の間。天井画がうつくしかった。
いよいよ展示室の中へ。
△ヨハン・ピーター・シュヴァーンターラー/Salome with the head of St.John the Baptist(1750)
サロメ。首から流れる血だけ赤い。
△フランツ・ヴェルナー・フォン・タム/Domestic Fowl and Rabbit(1706)
かわいかった動物たちの絵。
△ルイ・ダヴィッド/Bonaparte Crossing the Great St. Bernard(1801)
ナポレオンのいちばん有名な絵。あるとは知らずにいきなり現れたので思わずテンションが上がった。まさか生で見れるとは。でも実はこれ世界に五枚あるそうです。
△ハンス・マカート/The Five Senses(1872-1879)
五感をモチーフにした作品。左側から聴覚、触覚、視覚、味覚、嗅覚。
どこに視点を絞ったらいいのかわからなくなる。
△クリムト/Adam and Eve(1917-1918)
△クリムト/The Bride(1917-1918)
△エゴン・シーレ/The Embrace(1917)
クリムトやエゴン・シーレの絵が多く飾ってあった。二人ともオーストリア出身の画家なだけある。
△ブロンシア・コラー=ピネル/The Harvest(1908)
とてもかわいくて好きな絵。丸っこい人間たちが額縁の中で一生懸命働いている。
△ゴッホ/The Plain of Auvers(1890)
△モネ/Path in Monet's Garden in Giverny(1902)
地面に落ちる影の感じがたまらなく良かった。
△クリムト/Judith(1901)
△クリムト/The Kiss(1907-1908)
今日の大本命、クリムトの『接吻』。他の美術館に貸し出されることはおそらくないので、ここへ来て実際に見ることができて良かった。一生に一度の邂逅だ。
同じポーズで絵と一緒に写真撮影している中年の夫婦がいて微笑ましかった。というか、ちょっと羨ましかった。
別の階で中世の絵画も展示してあるようだったので、そちらも軽く見学。正教会の教会で良く見かけるような宗教画が多く飾られていた。
ひと通り見て上宮を後にした。
次、せっかくなので下宮へ。
みんな上宮だけ見て満足してしまうのか、こちらにはあまり人がいなかった。
しかし内装の細やかさや優美さにかけてはこちらも負けていない。
大理石のギャラリー。
ゴールドキャビネット。こちらはマリア・テレジアの時代に改装されていまの内観になったらしい。黒地に金の絵が描かれた家具等、ここでもアジア風の趣味が少し感じられる。
下宮側の庭園。
噴水越しに見るベルヴェデーレが綺麗だった。
宿の最寄駅に帰ってきた。本当は宮殿にあった後船で市内クルーズをしたり、観覧車に乗ったりする予定だったのだが、結局体力も気力も保たず……。でも、充分だったと思う。明日はもう少しのんびりしたペースで過ごしたい。
九月十六日(金)
十時、宿をチェックアウト。
宿に大きな荷物を置いて、カフェ・ザッハーへやって来た。ザッハトルテ発祥のカフェと聞いて前から気になっていたので、この機会に行くことができて嬉しい。ケーキとコーヒー、水のセットで二十ユーロ(約二千九百円)だった。まあ、これも観光の一部みたいなものだ。味の方はというと、ビターチョコレートをベースにベリーかなにかの甘酸っぱいソースが練り込まれているのを感じて美味しかった。ホイップクリームとの相性がいい。
食べながら、「いろいろ見過ぎてもうよくわからない」「いくらでも精巧な複製品を作ることができる現代において、"本物"とか"実物"を生で見る価値って何なんだろう」という話をした。
食べ終わった後はシュテファン大聖堂へ。ゴシック様式の建築がカッコいい。
内装も圧倒的だった。名所として有名な場所というだけでなく、今も日常的な礼拝に使われており、入った時間にはちょうどパイプオルガンによる演奏と讃美歌が流れていた。
柱の一本一本に至るまで凝られていて目が飽きない。
そのまま歩いて行ってペスト記念柱を見た。当時ヨーロッパで大流行したペストの終息を祝って建てられたものとのこと。ウィーンでも十万人以上の死者が出たというが、その上でこんな物まで造るなんてお金に余裕があったんだなあと思った。
クリムトの絵っぽい壁を見つけた。
再度宿に戻り、荷物をピックアップ。これでウィーンともお別れだ。まだまだ見れていない・行けていないところは山ほどあるとは思うが、どのみち全部をチェックするのは無理なので、短い時間に要所を詰め込んでダレる前に撤退、という戦略を取ったのは良かったと思う。街の中心を離れた後は空腹を満たすためにその辺でケバブを買って食べた。久しぶりのアイランが美味しい。最初は塩ヨーグルトなんて!と思っていたのに、今ではしょっぱい料理にめちゃくちゃ合うと感じる。
大きなバスターミナルへ。次はチェコのプラハに行く予定だ。が、待合室で電光掲示板を確認したところ、なんと十六時半発のバスが十八時発に変更になっていた。びっくり!とはいえ他に行くところもないので適当にその辺の椅子に座って待つことにした。ウィーンはフリーWi-Fiが多く、たいていの駅やバスターミナルでネットが使えるのでありがたい。
△ドナウ川
十八時。バスに乗車。オーストリアの絵画や建築は充分に楽しんだが、音楽方面に関してはそういばノータッチだったので、車内ではモーツァルトやベートーベンを聴いて過ごした。
二十二時近く、プラハに到着。遅延のアクシデントはあったものの、無事に辿り着くことができて良かった。ウィーンでの旅程がタイトだった分、明日はゆっくり休もうと思う。