労働賛歌

 転職してから三日が経った。正直言って、まだ右も左もわからないような状態だ。一応経験のある職種ではあるものの、だからといって安心はできない。基本的な業務内容は同じであっても、求められる技能や流通しているルールは微妙に違うからだ。どこに何が置いてあるかもまだ把握しきっていないような状況下で、勝手がわからずに戸惑う場面は多い。

 

 けどまあ、それって別に普通のことだよね。

 

 経験の有無にかかわらず、新人なんてもんは不安気にビクビクしているほうがかえってよいのでは、とすら思う。

 なんかこれわかるかもー、とか言って推測で軽々しく動いてしまうほうがよっぽど恐ろしい。

 自信というのは時間をかけて作っていくもの。いまのうちから緊張感や不安感といったものを厭う気持ちはまったくない。

 

 

 昔は働くのが嫌で嫌でしょうがなかったなあと最近よく思う。じゃあ今は働くの好きなんですか?って聞かれるとそれはそれで答えに困るのだが。少なくとも、嫌い、ではなくなったような。好きとか嫌いといった尺度でははかれない、というより、はかっちゃいけないのが仕事なのかなあと思ったりもするし、そのへんはちょっと難しい。

 

 ただなんにせよ、私にとってなくてはならない存在だなあとは思う。仕事というのは。それは金銭の問題に関係なくそう。

 

 これは無職になるたびに痛感することだが、社会との繋がりを完全に断たれている状況、というのはなかなか精神にくるものがある。ニート生活なんか楽なだけで楽しくもなんともない。どこにも行けず、誰とも繋がることができない日々の中で、いったいどうすれば生き甲斐なんてものが見つかるというのか。誰にも傷つけられる心配がない生活は確かに安全かもしれないが、でも、ただそれだけだ。虚しい。

 

 

 私には価値がないと言って嘆くのは簡単だが、冷静になって考えてみればすぐわかる。価値というのは他人に見出してもらうものであり、自分で勝手に決めるようなものではないということが。

 誰かと言葉を交わし、誰かのために手を尽くす。そして時々感謝される。そういったやりとりの中にしか生きる意義というものは発生しない。

 

 意義ある人生だけがすべてではない、と思うけれど。

 

 特定の宗教に入信しているわけでも、仲の良い家族に愛されているわけでも、友だちが大勢いるわけでもない私にとって、職場というのは最後の砦だ。

 そこに通う毎日があればこそギリギリ人としての価値を保っていられるのであって、なければ本当に泥同然の存在になってしまう。なんでもない、誰にとってもどうでもいい私のことを、どうにかこうにか定義付けてくれる存在。それが仕事。だから簡単には放り出せないし、放り出したくない。

 

 とかいいつつ放り出してきたから4回も転職してんだろ、という突っ込みはさておき。今回こそは出来るだけ長く勤められたらいいなって思ってます。まる。