十月十二日(水)
カミーノ巡礼十四日目。今日は朝からずっと夫婦喧嘩をしてた。アルベルゲが閉まるギリギリの時間になってもお互いの気持ちに折り合いがつかず、最後は追い出されるようにして出発。八時だった。
かなしい……。普通に平地を歩くと私のほうが早いので、時折後ろにいる夫の姿を確認しつつもほとんど一人で歩いた。相手の言い分をしっかり聞いた後でもう怒りのピークは過ぎていたから、別にいっしょに歩いてもよかったのだけど、なんとなく今はお互いの存在を上手に意識できない。そのままの意味で距離が欲しかったのだと思う。自分自身に対してダメだなと感じる部分もあり、落ち込みもしたし、まだ色々と考えていたかった。
一番問題なのは二人の気持ちが同時に納得する方法を思いつけないことだ。根本的な価値観が違うのだからもういっそ別で行動しようか、と夫は言い、私も似たようなことを一瞬考えたのだが、具体的なことを想像してみるとやっぱりその案だけはどうしても受け入れ難いと感じた。
こういう日に限って光の差し方が美しい。
一時間半ぐらい歩いたところでだんだん寂しくなってきて歩幅を合わせるようにした。並んで歩きながら今朝も話したようなことをもう一度話す。仲直りとまではいかなかったけど、お互いちょっとずつ冷静になってきてるのがわかった。時間をかけるのって大切だ。
喧嘩になる時ってだいたい自分の感情と言い分で頭がいっぱいになっちゃってるけど、そこから何度も意見を交換し合って相手が置かれている立場やこちらが抱かせてしまっている不満にまず気付くことが重要なんだとこの時思った。
☆
十キロ歩いた地点で最初の町があったので、そこで一休みしつつ「仲直りしたいけど、どうしたらいいのかわからない……」という話をした。だんだん、喧嘩の内容がどうとか抜きにただただ悲しくて辛いだけの気持ちになってきている。
夫も同じ気持ちだったのか、私が再度自分の反省点をあげた上で「やりたいことや価値観が違うのは確かだけど、やっぱりそれ以上に一緒にいたくてここまで来たのだし、別で行動するのは違うと思う」と伝えるとそこでようやく態度がほぐれた。
お互いに悪かったね、ごめんね、と言い合ってどうにか元通りに。そこからしばらくは手を繋ぎながら巡礼路を歩いた。
△アインシュタイン、ガンジー、キング牧師が並ぶ謎のグラフィティ
謎の人選。喧嘩していて気がつくともうお昼前だった。あと十キロ。
昨日、一昨日と打って変わって今日はすごく晴れた。空がとにかく広い。スペインを歩いているとよく「地球って丸いんだな」と思う。なんていうか、世界がドーム型に広がっているのを感じるんだよね。
話し合いに時間を注ぎ込みすぎたせいか他の巡礼者と歩くタイミングが合わず、私たち以外に人影は見えなかった。静かだ。
これぞ巡礼の道。
今日泊まる予定のオルミージョス・デル・カミーノには中規模のアルベルゲしかないので、もしかしたらもう埋まってるかもしれないね、と二人で心配しながら歩いた。その場合はさらに十キロ先の町まで行かないと宿がない。病み上がりで三十キロ歩くのはさすがにしんどいので、できればここで今日の寝床を確保したかった。
十三時半。町に到着。最初に見つけたアルベルゲが「フル(満員)」の札を出しているのを見てちょっと冷や冷やしたが、その後すぐに空いている宿を見つけることができた。私たちのパスポートを見たオスピタレロに兄弟と間違われたりしつつ(スペインでは結婚して名字を変える文化がないらしい)、無事チェックイン。
ロビーに無人販売系の冷蔵庫が置いてあって良い感じだ。全体的に家庭的な雰囲気がある温かい宿だった。
ゴロゴロしていたら夕飯の時間になった。十九時。他の巡礼者たちと共にテーブルを囲む。
ピルグリムメニューを用意してくれているタイプの宿は夕食の席でいろんな人と交流できるからいいな、と思った。一対一で声をかけられるとドギマギしてしまうけど、みんなが一堂に会している場だったら一言二言返せただけでなんとなく良い感じになるから気が楽だ。
今日の宿はパエリアが定番メニューらしい。美味しかった。米粒ひとつ残さないように食べていたら片付けの時にオスピタレロから「お前めっちゃ綺麗に食うな〜」と褒められて嬉しかった。
暮れていく空。猫を探すために二人で散歩したけど、一匹も見つからないのですぐ引き返した。
夜、他の巡礼者に誘われてみんなで近くのバルへ。めちゃくちゃうまいジャズミュージシャンのひとがいて、サックス、ハーモニカ、喉などを使っていろんな曲を演奏していた。コーラを飲み飲みいい気分。「めっちゃキスして」みたいな意味の『Bésame Mucho(ベサメ・ムーチョ)』という歌が良かった。調べたらけっこう有名な曲でいろんなひとがカバーしているらしい。ビートルズとか。
楽しかったので、帰る時にスキップしてみたらお腹が苦しかった。