十一月三日(木)
カミーノ巡礼三十六日目。今日はとうとう最終目的であるサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を目指して歩く。残り十九キロ。ほんとうにもう終わりなのだと思うと朝から無性に切なかった。日に焼けて肌はダメージを負い、雨風に吹かれれば寒く、風邪を引いたこともあったし、決して良いことばかりではなかったはずなのに。それでも思い返すと毎日ただただ楽しかった。目に映る田舎の景色や、すれ違う他の巡礼者との交流、旅の疲れを癒す美味しいご飯、そして日々思いつく色んなこと。
歩くという行為は、実はとても精神的な活動だと思う。歩きながら取り留めもないことを考えたり、夫といろんな話をするのが何より好きだった。くだらない内容やどうしようもないことも多かったけど、中にはこれからも大切にしていきたいひらめきや発見だってたくさんある。頭の中身がすごくすっきりして、ピースフルになれた時間だった。
今日は宿で朝ご飯を食べてから出発。スーパーで安く売られていたホールのサンティアゴケーキを二人ではんぶんこした。ケーキとは言っても生クリームやカスタードが塗ってあるわけではなく、サクサクした食感のシンプルなアーモンドケーキなのでそこまで重たくはない……が、やっぱりはんぶんこはちょっとやりすぎだ。最後のほうはちょっと気持ち悪くなってしまった。美味しいものほど適量で抑えたほうがいい。
八時半。オ・ペドローゾの町を後にした。空は曇り気味。カッパを着るほどではないが時たまポツポツと雨粒が落ちてくるのを感じた。
これが最後の巡礼路かあ。よくある山道だけど、いつまでも見ていられる光景ではないんだと思うとしみじみしてしまう。
結局馬連れの巡礼者には出会わなかったね、という話をした。
※カミーノでは徒歩、自転車、馬による巡礼が認められている。
九時。数日前の予報では雨と出ていたのもあり、さほど期待はしていなかったのだが、ちょっとだけ青空が見えてきた。
登り坂が続く。たまたますれ違ったひとが「ブエン・カミーノ!あとちょっとだよ!」と声をかけてくれて嬉しかった。
こんな日なのにお腹が痛くなってきた。
十時半、休憩。七キロ程進んだようだ。サンティアゴに着くのが楽しみだなあという話をした。
体調があまり良くなかったので一時間近く休んでからバルを出た。無理は禁物だ。しかし予想に反して空はかなり晴れた。歓迎されているみたい。
教会の前で道を間違えそうになっていたら、たまたま通りがかった地元の方が正しい方向を教えてくれた。最後までひとの善意に支え続けられた旅だ。
太陽光が反射して、アスファルトの道路が輝いているように見えた。
十一時四十五分。残り十キロ。
このスカスカの柵で脱走とか事故が起きないのすごいな。
振り返った先の道がきれいだ。
日本に帰ったらやりたいことや、美味しかったスペイン料理のことなどを話しながら歩いた。あと五キロ!
最後にもう一回巡礼者メニューが食べたかったね、という話をしていたらちょうどいいタイミングで目の前にレストランが現れた。看板には十三時からランチタイムが始まると書いてある。時計を確認すると、時刻は十二時五十五分。ついてる!
一皿目のマッシュルームのアヒージョも、二皿目の子牛のシチューも美味しい……。且つ、量がちょうど良かった。お腹いっぱいではあるけど、動けないほど苦しくはならない。
進んだら終わってしまうというのが惜しく、またたっぷり一時間以上休憩してから店を後にした。
歩きつつ旅の良い思い出を振り返るつもりが、「あなた、カミーノが始まってからお酒飲んでない日なくない?」という話になり、いつの間にか日々の酒量の追及に……。
どこをみても胸がいっぱいだ。
十四時半。ついにサンティアゴ・デ・コンポステーラの町に到着。たまたま居合わせた別の巡礼者に記念写真を撮ってもらった。
しかしここで終わりではない。巡礼路の終着点はあくまでも大聖堂だ。そこを目指して街の端っこからさらに一時間ほど歩いた。
建物と建物の間からそれらしきトゲトゲが見える!
やっぱりあれだ!
十五時半、ついに到着!感無量だった。夫に飛びついて喜びを分かち合う。喧嘩したり、イライラしたり、上手くいかないこともたくさんあったけど、最後まで手を取り合って一緒にいることができてほんとうによかった。
私たちの最初の共同作業はケーキ入刀じゃなくてカミーノの巡礼だったね、はは、みたいなことを話した。
うさたろも記念撮影。ここまでがんばったねえ。
しばらくの間陶然として大聖堂を見上げていたら、一週間前に別れてそれっきりになっていた巡礼仲間とたまたま再会してまた泣きそうになった。彼は昨日サンティアゴに着いたらしい。三人で肩を抱き合って無事にここまで来れたことを喜んだ。
本当に何となくだけど、この人とはまた会える気がしてたんだよな。不思議。
クレデンシャルもこの通りスタンプでいっぱいだ。裏面もある。結局その巡礼仲間と別れた後もさらに放心して、一時間ぐらいその場に留まっていた。あたりにはそんな感じで余韻に浸っている人が大勢いる。この場所はきっと毎日がこんな感じなのだろう。
とはいえずっとそうしているわけにもいかないので、ようやく重い腰を上げて今日の宿にチェックインした。「KM.0」という名前が良い。
部屋に荷物を置き、いつも通りシャワーを浴びて、洗濯物を干した後はどっぷり夜まで眠った。安心感から疲れが出たのだろう、もう何もする気が起きない。夫も、私も、そして他の巡礼者たちも、今日はほんとうのほんとうにお疲れ様だ。ここまでよくやった。第一部、完……。
☆
しかし。
実はここが本当の終わりではない。カミーノには「フィステーラの道」と呼ばれる有名なエクステンションルートがあるのだ。
私たちの歩いた「フランス人の道」がここからここまでだとすると、
「フィステーラの道」はさらにここ、大西洋に面するスペインの端っこまで歩く。その距離九十キロ。三、四日もあれば到達できる場所だが、全員が全員そこまで目指すわけではない。実際、夫も前回の巡礼では結局行かなかったと言っていた。
が、今回は私がたいそう巡礼の旅を気に入ったのもあり、せっかくだから挑戦してみることに。フィステーラは元々「地の果て」を意味し、世界の終わりの象徴としても知られる場所らしく、そういう意味でも気になる……。というわけで。
明日からもふつうに歩きます!