変容していくもの

 転職しようと思っている。

 

 今年の一月末に前職を辞めてから、しばらくの間同じ業種のアルバイトをしていたのだが、だんだん、スキルも経歴も積み重なっていくことがないこの働き方が嫌になってきた。仕事自体は楽だし、場所も通いやすいところにあるし、あまり世の状況に左右されず週五日シフトに入れる(且つ、残業などで過度に働かされる心配もない)のもありがたいが、それだけではダメだったようだ。

 私はわりと自分のことを弱い生き物だと思っていて、能力自体も低いし、あまりに傷つきやすいから人と接したり働いたりするのには向いていないと決めつけていたのだが、この前恋人と喧嘩した際、それは勘違いだったかもしれないとはじめて気が付いた。


 言い争いになる直前、


「ひきこもり生活から脱してバイトを始めるとか、契約社員から正社員、正社員から現場副責任者になるとか、そういう目標があってやってきたこれまでの仕事とは違って、いまの職場はひたすら楽なだけ、ステップアップも成長もまるでない、それがつらい」


 と、自分で話しながら驚いたくらいだ。恋人も恋人で、「もうそういった視点はまるきりないもんだと思ってた」なんてふうに言葉を返していた。


 春頃、「本当にこの働き方でいいのかな。私がこうやって楽してる間にも、同世代の友達とかは着々と意義のある仕事をこなして、経験を積んでるのに…」と相談したときも、「さかなちゃんでもそんなこと考えるの?もっと私は私、周りは周りみたいな感じだと思ってた」とびっくりしていたので、たぶん、「向上心」とか「上昇志向」といったものとは無縁の人間だと捉えられていたんだろう……というか、それは自分でもその通りそう思っていたことだった。



 前の仕事を辞めるとき、恋人が「働きたくなかったら働かなくてもいいよ。俺が養うから」と言ってくれたときはほんとうに嬉しかった。自分でも「甘えて楽して暮らしていけるならそれがいちばんいいな」と思ってしまったのは確かだ。でも、実際にはそういう生活向きの体質じゃなかったらしい。

 そもそも、いまだって完全に甘えて専業主婦の暮らしをしているわけではないのだから、その時点で気づいていてもおかしくはないのだが……。


 妊娠していたり、何か病気をしているならともかく、自分がなんでもないときに経済面で誰かに頼りっきりというのは、やっぱりどうしても性格的にできない。

 いまだって家賃は全額出してもらっているし、奢ってもらうことも多いので、「面倒を見てもらってるな」とは思うが、私だって多少の生活費は負担してる。



 楽で暇な仕事がいい、というのは、それだけ言われるとそれはそうだろうと思うのだが、実際やってみるとけっこう堪える。一日八時間を週五回、なんにもないブラックホールに投げ込んでいるような感じ。日中あまり体力を使わず、精神的にも疲れるような要因がないため、余暇をたっぷり好きなことに使えるのはいいが、それで昼間無駄にした時間がチャラになるわけではない。

 一日一日を適当にやり過ごすのではなく、もう少し意味のあることをしてお金を稼ぎたいと感じた。次に就職するのだとしたら、目先のおもしろさや楽さに惑わされず、五年後、十年後を見据えた上で経験・知識を蓄積していけるような仕事にしたい。最初はアルバイトでも構わないけど、なんにせよ長期的な視点が必要だと思った。


 それで具体的にどんな職がいいか、というのはまだ決まっていない。一応、ひとつふたつ気になっている仕事はあるのだが、まだいろいろ調べて検討している段階だ。今回の転職はいままでしてきたのとかなり意味合いが違うので、焦らず時間をかけて決めていこうと思っている。唯一はっきりしているのは、前職と同じ仕事はやめておこう……ということぐらい。


 私はたぶん、普通のひとよりも転職回数(今回で五回目、ただしバイトも含む)が多く、三年以上同じところに勤めたこともないもので、自分では「ちゃんとしてない」人間だと思っていたのだが、よくよく考えてみると、その転職ごとに同職種の中で「バイト→派遣社員契約社員→正社員」とステップアップしてきたことがこの前わかった。それで「もういいかな」と思ってやめたのが前回だったので、次もまた同じ轍を踏もうとは考えられない。


 こうやって来た道を振り返ってみるとなんだかんだいって真面目なんだな、と思う。



 昨夜、また恋人と喧嘩した。お酒が入っていたので感情が昂りやすくなっていたにしても、最近多い気がする。倦怠期か?この関係、もうダメなんか?と、その直後は風呂場に閉じこもりながら考えた(心配した恋人が覗きに来た)。

 それで今朝になって気がついたことがひとつある。それは、人間が浮き沈みを繰り返しながらもちょっとずつ変化していくのと同じように、人と人の関係というのも、うまくいったりいかなかったりを繰り返しながらかたちを変えていくのではないかなあということだ。

 いまがちょうど喧嘩の多い時期だったとして、それがずっと続くとは限らない。七月に熱海へ行ったときだって、三日立て続けに喧嘩して、もうダメだと思ったりしたけど、そのあとはしばらく平穏だった。

 人間には機嫌というものがあるから、普段は許せていたことが急に許せなくなったり、なんでもないことで怒ったり泣いたりしてしまうことも、確かにある。けど、時間が経てば考えも気分も変わるのだ。


 今までは少し嫌になっただけで別れていたけれど、それはなんか違うな、といまでは思う。目の前の状態だけを見て先のことまで断定してしまうのは早計だ、ということにこの歳でようやく気が付いたわけだ。

 

 人間には変わる部分と変わらない部分があって、変わらない部分に関しては自分の好き嫌いで選ぶこともできる。



 仕事にしろ、恋愛にしろ、一歩先以上のことを考えられるようになったのが最近の私の変化であり、成長だなあと思う。

今日は私がいないから

 恋人と大喧嘩した。夜、転職について相談していて(またするのか…)、なんとなく相手の物言いが突っつけどんというか、頭ごなしにいろいろ決めつけて私の選択や考えを否定しているように感じたので、ついカチンときていたら逆に怒らせてしまった。「俺は間違った指摘はしてない」「ちゃんとした考えがあって言ったことだ」「さかなちゃんの普段の振る舞いや、客観的に見た得意不得意と、目指している職種に矛盾があると感じたからそう言っただけ」と言われ、確かにそれはそうなのかもしれないけど、だからといって私の気持ちや考えをはなから無視して発言してもいいわけ?問題にしてるのは会話の内容じゃなくてあなたのその態度なんだけど、とこちらもヒートアップ。最初に腹を立てたのは私のほうなのに、なぜか恋人の怒りの方が激しく、大声で理詰めされ、本気でいやんなってしまった。元々疲れていたため途中で話を切り上げ、不貞寝モードに入ったが、怒りで目が冴え渡っていてとても眠れない。恋人もどうやらそのようで、しばらくは暗闇の中携帯をいじったりしていたが、どうにも感情が収まらなかったらしくそのうち大雨の中外へ飛び出していった。心配だけど知らん!恋人の気配が部屋から消えたことでようやく少しホッとし、体の緊張が溶けていく。眠い頭で今後のことを考えて、とりあえず明後日の土曜に予約していた美容室をキャンセルすることにした。元々その日は別行動を取ることになっていて、私は朝からばっちりお洒落をし、美容室で髪を染めて、午後はアフタヌーンティーに行く予定だったのだが……。恋人の怒りがあまりに激烈だし、私もかなり苛々しているので、もしかしたらしばらく家を出ることになるかもしれない。てか、別れるかも。そんな状況で美容室へ行くためだけに家の近くまで戻って来るのはなんか変だし、道でばったり会っても気まずいから、それだけはなしにしよう。ついでにアフタヌーンティーの予約もキャンセルしようと思ったのだが、こちらは店舗に直接電話をかけなくてはいけないみたいで、それはめんどくさいから渋々行くことにした。


 こんなときにアフタヌーンティー!ばかみたいな話だけど本当に私らしい。

 

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 次の日、目が覚めてみると私はやっぱりまだ怒っていた。昨日言われたことが尾を引いており、別れたいな、というより、別れたあとどのような手続きが必要になっているかですぐ頭がいっぱいになる。もうあなたに話すことは何もない、という言葉が脳みその中でぐるぐる回っているようだった。むかつく、むかつく、むかつく。


 いつも通り顔を洗って、歯磨きして、制服に着替えて、家出の準備をする。ちょうど荷造りが終わった頃、昨夜は一睡もできなかったという恋人に話しかけられてまたも口論に発展、そして激怒。「いままでもさかなちゃんに理不尽に怒られて、その度に俺が謝ってきたけどさ」は〜?これまで何で私が怒ってるのかよくわかんないまま謝ってたわけ?あなたの行動や発言に傷ついたり不愉快さを感じたりしたから怒ったのに、あくまで自分に原因があることは認めないんですね。ありえない。


 で、本気で家出することに決めた。


⭐︎


 その日は台風が来ており、おまけに都民の日で休みを取る人が多かったため、ろくな仕事はなかった。雑用で繕い物を任されて、一針一針刺しながら昨日の喧嘩に思いを馳せる。私は間違っていない、と強く思う反面、確かにこれまでは喧嘩してもだいたい向こうが先に謝ってくれたし、たまには大人にならなくちゃいけないのかな、と感じたりもした。

 それから、一時はそういう考えもあったが、これで別れてしまうのはちょっと違う気がする。同棲しているからいろいろめんどくさいのもあるが、やっぱり特別好きな相手だし、たまの喧嘩を除けばものすごく仲がいいし、もうすでにお互いの親にも会っていて、だからこの関係には責任、というものがある。私はたいそう極端な人間だから、いままでの恋愛だったら百パーセント別れているような場面だけど、今回に限ってはそれじゃダメだと思った。人として、ちゃんと歩み寄らなくてはいけない。そうでなければいつまで経っても同じことの繰り返しだ。


 とはいえお互いものすごい怒りようだったから、これで見放されてかえって向こうから別れを切り出されたらどうしよう……。


 グツグツ煮えたぎる怒りの波に耐えながらもそんなことを考えていたらいつの間やら午後だった。恋人よりは眠れたはずだけど、どうにも寝不足だったらしく、気を抜くと瞼を閉じてしまいそうになる。いつもお菓子をくれるおじいちゃんに栗饅頭ともみじ饅頭を二個ずつもらって、いつもだったらすぐに食べ尽くしてしまうところだけど、今日は飢えに備えて大切に取っておくことにした。


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 暇を見てその日泊まるビジネスホテルを予約しておいた。退勤後、コンビニに立ち寄って夕飯と酒と煙草を買う。猛烈に煙草を吸いたい気分だったのでわざわざ喫煙可の部屋を選んだのだ。


 ホテルの最寄駅に着き、「おじいちゃんにもらった饅頭、制服のポケットの中に忘れてきたな……」なんて思いながら歩いていると、仲良しのフォロワーから「良かったら通話しませんか」という内容のラインが来た。実は昨日も同じ誘いが来ていたのだが、彼氏と喧嘩していて気がつかなかったのだ。当然、喜んで誘いに乗ることにした。チェックイン早々服を脱ぎ捨て、晩酌の用意をしつつもかかってきた電話に出る。怒りの他に若干の寂しさや心細さがあったので、心の通い合った他者と言葉を交わせるのはほんとうに嬉しかった。夫婦喧嘩は犬も食わないという諺もあることだし、愚痴に付き合わせるのは申し訳ないから控えるつもりだったのだが、つい恋人に対する文句がぽつりぽつりと出てくる。「彼氏の言ってることが間違ってないっていうのもわかるけど、感情的になってる時にああやって理詰めで返されるときついっていうか」「まあでも、一日二日ならともかく、一週間とか二週間ってなってくると良くないので、明日あたり仲直りしようかなと思ってます。それか別れるか」というと「極端ですね」と笑われた。確かに、と思いつつ、この場合における中間の選択肢が何も考え付かない。 


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 フォロワーが「眉毛を整えようと思っている」というので「いいじゃんいいじゃん」と返すと、「でも、眉毛が全部なくなるかもしれないし」といわれ、「なくならないでしょ、どっか(眉毛サロン的な)でやってもらうんですか?」「いや、自分でやる予定です」「それはなくなるかもしれないな」という会話になったのがおもしろくて印象に残った。あと、ささやかな秘密をひとつ打ち明けて、見えもしないのにウィンクしたりした。


 四十分ぐらい話したところでけっこう酔いが回ってきた(私は酒が弱い)ので、今日のところはおいとまさせてもらう。食べかけの揚げ出し豆腐とたこ焼きをすべて吸うように体内に入れ、煙草を二〜三本吸ってからベッドに潜り込んだ。が、体は疲れているはずなのになかなか寝付けない。仕方ないので風呂を沸かしてしばらく湯に浸かる。それでようやく体がリラックスモードに切り替わった。


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 日付が変わる直前に目が覚めると、着信が一件入っていた。「どこにいるの?迎えに行くよ」というメッセージも一緒に来ている。ちょっとホッとしたし、嬉しかったが、まだ「ばかやろ〜」という気持ちがけっこうあった。いま帰ってもきっとまた喧嘩になるだろう。未読のままもう一度寝の体勢をとる。


 それにしても、LINEが来るまでは「今回は自分から謝らなきゃな」と思っていたのに、いざ向こうから歩み寄られると「もう一泊ぐらいしようかな」に気持ちが変わってしまうのだから、人間の心理とは不思議なものだ。


 ただ寝泊まりするだけではつまらないから、明日は新文芸坐のオールナイト上映でも行こうかな、と思って調べてみると、『ビバ!チバ!惜別のソニー千葉ナイト』うーん千葉真一特集か……。


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 翌日、目が覚めてみると体がだるかった。あれからまた六時間も寝たのに。なんとなくすぐ起きる気にはなれず、八時手前ぐらいまでダラダラベッドに潜って過ごす。風呂に入る前に煙草を吸って、風呂入って、また吸って、化粧して、電気ケトルで湯を沸かし、白湯を飲んだ。昨日けっこう食べたはずなのに、気がつけばお腹が空いている。池袋の駅が近かったので、昔家出したときにも行った『珈琲専門館 伯爵』でモーニングを食べることにした。


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 窓際の席でサンドイッチを食べながら、本を読んだり、外の往来を眺めたりした。充電がなくなるとまずいので、携帯は必要なとき以外極力電源をOFFにしておく。代わりに、いつもはバイト先に置きっぱなしにしてある留め金の壊れた腕時計をテーブルに置いた。スマホに依存しきっている身で言うことではないが、時間だけ気にしていればいい、というのはなんともいえず気分がいい。


 私より若くてかわいくて痩せてる子たちがガールズバーの看板持って、誰にも声をかけられないままただひたすら立っている様子を眺めながら、謙虚さ、ということについて考えた。私は不遜な人間ではないだろうか。もっと恋人から選んでもらっていることに感謝して、素直になったほうがいい気がする、でも、いまはまだできない。


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 予約してあったアフタヌーンティーのお店に行くため、港区方面へ向かう。怒りが弱まってきたのと同時に、だんだん、鬱っぽい気分になってきているのを感じた。ほんとうはもっとお洒落して行きたかったな、と思いながらゆりかもめに乗る。ちょっと嬉しい。でもやっぱりつらい。


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 人生初のアフタヌーンティー。秋らしい内容で、かぼちゃのサンドイッチや紫芋のパウンドケーキが美味しかった。飲み物はアールグレイティーのアイスに。

 正しい食べ方がいまいちよくわからず、スコーンを手で取ってから後ろにミニトングがあることに気づいたりして恥ずかしかった。


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 小さくてかわいいスイーツを一個一個食べながら、また本を読んだり、自分の考えを整理したりする。アフタヌーンティーというとなんとなく敷居が高いイメージがあったけど、やってることの内容としては居酒屋とそう変わらない気がした。ちょっとずつ出てくる食べ物(おつまみ/スイーツ)をつまみながらゆっくりドリンク(酒/紅茶や珈琲)を飲むという、おおよその共通項がある。価格帯も案外同じぐらいだ。こんなことならもっと早く体験しておけばよかった、と思った。

 

 この時にはもうだいぶ頭が冷静になっていて、恋人の発言を受け入れよう、という向きに気持ちが傾いていた。物凄い勢いで言われたものだから、そのときは反発しか抱けなかったけれど、ひとつひとつその内容を思い返してみるともっともだと感じることが多い。

 特に、「人が好きだから人と関わる仕事がいいかも(介護・学童)」という発言に「いや、さかなちゃんそもそもそんなに人好きじゃなくない?」と返されたのはいま思うと笑えた。人が好きだという気持ちはほんとうなのだが、おそらく接客に活かせるタイプの「好き」ではないのだろうな、というのは自分でも納得するところだった。私は他人の心の中にある内的な美しい動きを垣間見たり、個人の性格や嗜好にチャーミングな部分を見い出したりすることは好きだが、双方向のコミュニケーションは苦手だし、変に秘密主義的なところがあって中々積極的な自己開示をしたがらない。愛嬌があるとは言われるし、際立って嫌われるような部分もないが、かといって人前に出てハキハキ喋れるようなタイプではないのだ。


 他、「本気でやるなら検索してすぐ引っかかるような求人を当てにしちゃダメ、転職サイト使ってエージェントつけなよ」というアドバイスもその通りだと思ったし、「営業はどうかな?」に「絶対向いてないからやめときなよ、あんなの黒光ツーブロックゴリラの世界だよ」は偏見が過ぎるもののまあ向いてないのは当たってるだろう。

 また、私の中ではそれほどまでのことではないと認識していたのだが、「あなたはマネジメントの経験もあって、人の上に立つということをしてきたんだから、人手不足のやばい求人受けたら絶対すぐ来てくださいって言われるよ」と言われたことが自信に繋がった。その流れで「それでしんどくなって辞めてってなったらまた同じことの繰り返しだろ!」と怒鳴られたのは置いておくにしても。


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 恋人が好きなモンブランを掬って食べながら、あのひとはこういう雰囲気あんまり好きじゃないだろうな、と思った。そして、だからなかなか来る機会を作れなかったのだ、とも。それならそれで今回のようにひとりで来ればいいだけの話なのに、自分の嗜好を満たすよりも恋人と過ごす時間を優先したかった。


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 最後に出てきたジェラート。予約時はこんな状況になると思っていなかったから「へ〜!プレートに文字書いてもらえるんだ!じゃあ○○ちゃん(彼氏の名前)だいすきにしよっと♡」なんて思って頼んであったのをすっかり忘れていた。思わず笑ってしまう。ばかだなあ。


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 アフタヌーンティーを食べ終わった後、すっかり穏やかな気持ちに戻った私は、しばらく港の近くをぶらぶら散歩することにした。喧嘩をした日とは打って変わっていい天気で、日差しが暑いくらいだ。潮のにおいを感じながら、水が凪いでいるのを見つめる。周囲を歩いている人たちはどことなく品がよくて、身綺麗で、お金のにおいがした。普段はあまり馴染みのない雰囲気だが、今日に限っては嫌ではない。


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 特に意味もなく駅のベンチに座って、しばらくぼーっとしていた。ふと気になって携帯を見るとまた着信が入っている。そろそろ仲直りをしなくてはいけないな、と思った。夜になったら「ごめんね」と送るつもりだ。

 


 あと一泊だけしたら家に帰る。

動く記憶の水槽

 二年ぶりの帰省だった。同じ県出身の恋人と途中の駅でさよならをした後、それまでもあった焦燥感のようなものが一気にその存在を色濃くしたように感じた。電車は動く記憶の水槽へと変わり、二年前、五年前、それよりずっと以前の私が次々体の上に降ってくる。

 

 今回の帰省には「恋人と自分の家族にそれぞれ挨拶をする」というイベントが用意されており、二人の将来を前進させるという側面においてはかなりポジティブな意味合いがあるはずだった。

 が、当の私はというと、未来のことを考えるずっと手前のところで過去に邪魔されていて、とてもそれどころではない。いろんなことを返す返す思い出しては、「ほんとうに気持ちの悪い子供でした」と口をついて出そうになった。いまにも吐きそうで溶けそうな気分。このまま消えてなくなりたいと何度も思った。

 

 そうしてずいぶん身構えていたのだが、しかし、久しぶりに降り立った駅は、私が地元に住んでいたときよりもずっとお洒落で便利になっていた。地域性の高い手仕事の雑貨屋、昔はその概念すらなかったタピオカの店(ちょっと古い?)、新しく出来た無印良品店、道を行きかう若者の古着っぽい着こなし……。

 どうしようもない田舎だと思っていた場所が、絶妙に田舎らしさを残したまま洗練されているのを見て、私は自分が古くなったような、新しくなったような奇妙な感覚に捉われた。重たいリュックを背負って、駅構内と、その近くにある商業ビルを一通り見て回りながら、少しずつ、自分の中にあった固定観念を手放していく。私の胸の内にずっとあったあの街はもうないのだ、と思うと、さみしい反面、心が軽くなったようにも感じた。

 

 母親が駅へ迎えに来てくれるまでの間、スタバで抹茶フラペチーノを飲んだ。高校生の頃は憧れの店だったけど、いまとなってはそうでもない。なんとなく敷居の高さは感じるものの、以前よりはずっと身近に感じる場所だ。ここでたまに友達と放課後におしゃべりをしたなあ、あの頃は今日みたいな日が来るって想像もできなかった、なんて感慨に耽りつつ、やることもないのでTwitterを開いてのんびり過ごす。ようやく「モード」が普段通りの自分に切り替わったように感じた。

 

 

 地元にいた頃、少しでも文化的な生活をしたくて自分なりに足掻いていたことをなんとなく思い出した。毎週必ずTSUTAYAで映画を五本借りたり、ネットで岡崎京子の漫画を取り寄せたり、車で一時間かけて美術館に行ったり、県内唯一のミニシアターに通ったり、こちらでは珍しい存在である純喫茶を探しまわったり……。

 ひさしぶりに降り立った駅は確かに昔よりずっとお洒落になっていたけど、どことなくハリボテのような感じもあって、やはり、私があの頃心底欲していた活字体のエッセンスはここにはないと実感した。というか、探せばあるにはあるんだろうけど(それこそ当時のような必死の努力をすれば)、どこまでも濃度が薄いのだ。それが濃いのが東京。東京に住んだからって必ずしも文化的な生活ができるとは限らないけれど、そこへ向かって伸ばす手の距離は確実に短くなる。

 

 とはいえ、これはあくまで街の中心部の話だ。私が実際に生まれ育ったのはもっとずっと山のほう。ちょっとコンビニに行くのにも車が必要なぐらいの、本物のド田舎だ。山と畑と田んぼ以外には何もない。しまむらやイオンすらないんだ。

 そんな場所で二十年以上過ごしてきて、唯一、友達には恵まれたけど、本当の意味で自分を救うためにはここを出る必要があるとずっと思っていた。

 

 

 私には物語が必要だった。小説や映画はもちろんのこと、現実にも。選択肢の限られた現実に物語を持ち込もうとするとなぜか必ず恋愛になった。しかし、いつかは離れる予定の街でそんなことをしても不毛である。男の人とデートしたり、振られたり、振ったりというようなことはけっこうあったが、どうせ別れると思ってしまってのめり込むことはできなかった。

 それからいろいろあって、東京に出て、暮らして、結局似たような場所で育った男と付き合っているというのは変な話だ。

 

 

 車中で私が「もし子供を生むってなったら、親の近くに住んだ方がいいのかな?」「子育て、母親の助けがないと正直きついと思う」と言うと、恋人も「まあ、やっぱりそうなってくるよね」と同意してくれた。彼は私の田舎がとても気に入ったという。いまいちピンと来なかったが、パキスタンフンザみたいだと言ってはしゃいでいた。もし私が地元に戻りたいと言ったら、喜んでついてきてくれるそうだ。そんなこと起こるはずがない、ありえない、と今までの自分だったら思っていたが、子を生むという選択肢が見えてくるとなれば話が変わってくる。

 あんなに出ようと藻掻いたのに、最終的にはここに戻ってくる運命なのだろうか?だとすると、なんだかずいぶん遠回りをしてしまったような気がする。

 でも、それもいいのかもしれない。

 今回の帰省でひさびさに自分の家族と会って、なんとなく、私は過去のいろんなことを許して忘れていけるような気がした。そしてそれは同時に、自分が許されていくことも意味する。

 

⭐︎

 

 一歳半になる姪っ子と遊んでいたら、酔っ払った父親に「ふたりとも長女だからね、長女同士仲良くしなさいね」と言われて、なんとなくむず痒い気持ちになった。そういや私はこのひとの子供だったな、と思った。いろいろとつらいこともあったし、普通の、わかり合えている親子ではないが、結局のところはそうなのだ。

 

 しばらく帰っていないうちに、父親は写真をやるようになったらしい。何の前触れもなく一眼レフを取り出したものだから驚いた。以前、妹が「カメラ欲しいよう」とねだった時は「携帯についてるじゃん」と返していたのに。たぶん、初孫ができた影響だろう。

 父が「みんなで撮ろうか」と言うので、ひさびさに家族写真というものを撮ることになった。本当に照れ臭い。なんとはなしに幸福な気持ちで、泣きたかったけど涙は出なかった。

 

 今後の人生が具体的にどうなっていくのかはまだわからない。でも、とりあえず今回は帰省してみてよかったな、と思った。

WHEEL OF FORTUNE

 秋だねえ、鯖が大好きさかなちゃんだよ。今日は体調が優れず仕事を早退しました。

 最近、かなり涼しいし、暑さにやられる心配はもうないだろうと決めてかかって油断していたのだと思う。家に帰って薬を飲むとほどなくして回復したので、こんなことなら職場にも常備薬を用意しておくべきだったな、と後から反省した。私ひとり欠けたところでどうにでもなる仕事ではあるけど、周りに心配をかけたり、必要以上に気にかけられたりするのは好きじゃない。

 

 回復した後は恋人と一緒にお昼ご飯を食べたり、布団の上でのんびり歌集のページを繰ったりして過ごした。

 先月入手した堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』がやはりものすごく良く、一首一首を反芻するたびに甘美な溜息を漏らさずにはいられない。現在のすこしさみしげな気候にもよく合っているし(というか、タイトルがタイトルだし…)、増刷が決まったこのタイミングで購入出来て本当に良かったと思う。装丁から何まですべてがすばらしいので、ここのところは会うひと会うひとすべて、それこそ短歌をやったことがない人間にまでこの本の自慢をしている。

 はじめてこの人の歌に出会ったときは、似たような語やイメージが頻出しているような印象を受けてしまい、いまいちピンと来なかったのだが、いまではその「静かな過剰さ」がたまらない。醜いものを徹底的に排して作られた、完璧なうつくしい心象風景たちが一冊の本に閉じ込められている、というふうに感じる。私もこんな風に自分の生活を眺めることができれば、とは思うが、並大抵の努力では無理だろう。

 

 

 

 前回の記事で書いたチャット占い師についてだが、そういえば一晩で挫折した。わかってはいたことだけど、占い鑑定をするまでに必要な努力が多すぎるのだ。試しに一時間ぐらいサイトに張り付いていろんなお客さんに営業メッセージ(お悩み拝見いたしましたので、よかったら占ってみませんか?という旨のもの)を送ってはみたものの、返事が来ることはほとんどなかった。また、たまに来たと思ってもすぐにやりとりが途切れてしまう。こんな無駄ことをしている暇があるなら、もっと身のまわりの人の悩みを聞くとか、勉強に時間をあてるとかしたほうがずっといい……。

 

 そう思った私はすぐ行動に移すことにした(こういうところがめちゃくちゃ牡羊座なんだな、と最近気が付いた)。

 

 Twitter質問箱を設置して、「まだ勉強中ですが、タロットと西洋占星術ができます。DM・リプライでも受け付けます」と呼びかけを行う。すると何人かの心優しいフォロワーさんが反応してくださったので、不慣れながらも一件一件返していくことにした。まだ知識が完全には身についていないせいもあり、言葉を選ぶのにかなり四苦八苦したが、フォロワーさんのことを思って真摯に占い結果と向き合った。当たる・当たらないはひとまず置いておくとしても、好きでフォローしたり、フォローされたりしている人物相手に絶対適当なことを言いたくない。やるからには今できる範囲でしっかり応えたい。

 

 そんなことを考えていてふと思い出したのは、以前読んだ『占い師入門』(著・高橋桐矢)に書いてあった「そもそも、占いは、商品の売り買いで儲ける仕事ではありません。人の悩みや苦しみに関わる仕事です。占ってもらいたいと思うのは、悩んだり苦しんだりしたいるときです。」という言葉だった。

 確かに、私が占いを本格的にやろうと思ったきっかけは「金銭的」なものだったし、わかりやすい進展がない日々になんとなく焦る気持ちはあったが、もしかするとそれで最近、何か大事なことを見落としかけていたのではないだろうか?

 後から前回の恋人との会話を思い返して見ると、「チャット占い師になれる!儲かるかもしれない!」と息巻く気持ちが先行し過ぎていて、「人が占ってもらいたいと思うのは、悩んだり苦しんだりしたいるときだ」という視点がすっかり抜け落ちていたように感じる。占う対象をチャット内のお客さんからフォロワーさんに置き換えてみてようやく気が付いたのだが、誰だって、占いに頼らないと解決できないような悩みなんかないに越したことはないのだ。確かに経験は積みたいし、占いを通じて誰かとコミュニケーションを取るのは楽しいけれど、いっちばんいいのは全人類みんなが毎日死ぬほど幸せで、楽しくて、毛布はフワフワで、ご飯は美味しくて、私に話す悩みなんか一個もないことだと思う。

 

 だからとりあえず、もうしばらくは「いかに占い師を職業にするか?」というテーゼについては考えないでおくことにした。それよりいまはちょっとずつでも勉強を続けて、占いを楽しんで、たま~に頼ってきてくれたひとがいれば誠実な対応ができるよう努力したい。「占い師」が人の心と向き合う職業である以上、先回りをしてはいけないような気がした。

 

 

 それで本当に思ってもみなかったことなのだが、先日、DMで相談を持ちかけてくれたフォロワーさんのひとりが、「こんなに丁寧にみてくれてありがとう」と言ってお礼にLINEのスタバギフトをくれた。上に書いたことと矛盾するようだが、これはこれでものすごく嬉しい。「あなたがしたことには価値がある」ということを説得力のある形で示してもらえたような気がして、とにかく胸がいっぱいになった。私は占い師としてまだ未熟だし、遠慮した方がいいのでは……?とも思ったのだが、自分の言葉にまつわる責任とお金の関係について考える意味でもいただいてほんとうによかったと思う。フォロワーさんが律儀な人だったというのもあるだろうけれど、自信を持っていいよと言われたような気がしてとっても励みになりました。この調子でこれからも修行をがんばりたい。

CHARIOT

 最近はいろんなことをちょっとずつやっている。

 

 思えば6~7月は占いの勉強を始めたばかりだったこともあり、他の趣味に費やせる時間がほとんどなかった。スタート時の勢いに任せて根を詰めることも大事だが、そんな状態がずっと続いていればちょっとずつフラストレーションも溜まってくる。そこで8月は意識的に気分転換をはかろうと、最初から心に決めていた。

 

 結果としては、まず、読書量が増え、占い関係以外の本をたくさん読むことができた。といっても遅読なのでひと月で5冊程度だが、宇野千代の『或る一人の女の話/刺す』等ピンポイントで刺さる作品に出会えたので、よしとする。

 ワクチンも2回目の摂取が終わり、お盆休みには恋人と青森にも行ったし、ひさびさにフォロワーとオフ会をするなど、全体を通して見ればかなり充実していた月だったと思う。しばらく前に立てた「2021年下半期で300首詠んで来年の現代短歌社賞に出す」という目標のために今月もまた30首ぐらい短歌を詠んだし、創作活動の方もまあまあ順調と言える。

 

(ここで宣伝!

 私が参加している文芸サークル『鯨骨生物群集』の企画

 

 

 

 に提出した小説『防腐剤入り白昼夢3DOZEN』が公開されたので是非読んでください)

 

 とはいえもちろん占いに対する意欲が完全になくなってしまったわけではない。日々の生活の中でできる限りタロットカードに触るようにはしていたし、まとまった時間があって、且つ、他に優先してやりたいことがなければ西洋占星術の勉強にあてていた。また、単に知識を詰め込むだけではなく、実践の機会を求める気持ちも持ち続けており、自分の身の回りにいる人間のホロスコープを勝手に見て・分析する新手の覗き行為なんかはまったくやめられる気配がない。

 最近ではいい加減ネタが尽きてきたため、好きな作家のホロスコープを見ることにハマっているのだが、やはり個性的な人物ほどちょっとギョッとするような星配置の持ち主が多くておもしろい。谷崎潤一郎の旺盛な創作意欲はライツが火星座で固まってる(太陽・獅子座/月・牡羊座)影響かな、とか、三島由紀夫の月乙女座は確かに「っぽい」なあ、とか、宇野千代の射手座コンジャンクション祭りすごいなあ、なんて考えてひとりでにやにやしている。楽しい。この話は始めると長いので機会を改めてまたしたい。

 

 

 それで急といえば急なのだが、今日からチャット占い師としてデビューすることが決まった。おめでとう!

 

 と、手放しで言える話か?と考えてみると実はぜんぜんそうでもない。

 

 勢いで求人に応募してみて、受かったところまではよかったものの、いざ実際にその世界を見てみると、運営側が持っている「占い師の先生にはこういうふうに立ち振る舞ってほしい」という要望があまりに"パターン"としてできあがり過ぎていてなんとなく息苦しかったり、稼ぐために必要な営業努力が想像以上に苛烈だったりして、全体的につらいものを感じる。金銭のやり取りが発生する以上、求められていることをするのは当然だとは思うが、それはそれとして、「これが本当に私のやりたいこと/なりたい占い師像なのか?」という疑問がどうしても湧いてきてしまい、いろいろ考えていると食あたりに似た気持ちの悪さを胃に感じる。

 

 とはいえ、前に進みたいという欲求があったことや、そのために新しい行動を起こしたこと自体は良かったと思う。

 一度腹を括ると早いタイプなので、運営側の言うことに素直に従い、理想とされるプロフィール文と写真を用意したところ、一発でオッケーをもらうことができた。これでもう、いつからでも占い師として仕事を始めることができる。実際にやってみてどうなるかはともかくとして、自分の看板を出しても許される"場"が用意されたことはけっこう嬉しかった。

 

 恋人にこのことを話したところ、

 

「ちょっと聞いただけだけど、そのシステムで稼ごうとするのは良くないと思う」

 

 と、即座にツッコミが入った。

 

「まず、営業努力がしんどすぎる。客からの反応がまったくない、待機してるだけの時間も含めて時給換算してみたら1h500円も稼げない、とか全然ありそう。挑戦すること自体は悪くないが、あくまで経験値を積むためと割り切ったほうがいい」

「もし本当に占い師として稼ぐつもりなら、対面でのコミュニケーションは避けちゃいけないと思う(宣伝にかける労力などを考えるとそれが一番コスパが良さそうだから)。そういう意味でもチャット占いというのはどうなのか。対面とはまた違うが、リアルタイムのやりとりのスキルを磨くことができるからこの前やろうとしていた電話占いはいいと思った」

 

 詳しい反対意見としては大きく分けて上記二つのようなものだった。前者に関しては顕在的に、後者に関しては潜在的に感じていたことだったので、よくもまあこんなに痛い部分をはっきり言語化してくれるなあ、と感心してしまった。一応、私なりに考えてやろうとしていたことだったし、いきなり冷静な意見を浴びせられてたじろく気持ちもあったが、無関心な「おめでとう」で済ませられるよりはずっと良かったと思う。というか、冷静に考えてみればみるほど本当にありがたい。私がやろうとしていることの内容を真剣に検討してくれてありがとう。

 

 私がそれぞれの意見に対し、

 

「割りに合わないことはなんとなく勘づいているし、無理があると思ったらすぐにやめる。また、あなたがいうようにある程度期間を決めてやるようにする(まずは1ヶ月試してみてあまりにも意味がないと感じたら見切りをつける)」

「最終的にオーソドックスな対面占い師になりたいという思いもあるが、そもそも現段階では電話占い師の面接ですら落とされてしまう現実がある。取っ掛かりはなんでもいいから、まずは場数を踏んで、実例を自分の中に積み上げたい。例えばだが、お客さんのカルテを作るなどして、『こういう相談に対してこういうカードが出た』『その上でこういう解釈をした』と書き留めながら、実践を伴う勉強をしていきたいのだ」

「私は対面でのコミュニケーションが苦手だが、その反面、文字を使うことが得意である。チャット占いというのももしかしたら私の性分に合っていて、うっかり稼げてしまうかもしれない(たぶんないが……)」

 

 と返すと、恋人も納得してくれたようで、今度は

 

「さかなちゃんが考えてやろうと思ったことに対して、いきなり上から目線で厳しいことを言ってしまってごめんね。確かに、意外と稼げてしまう可能性だってなくはないし、経験としてやってみるのはいいと思う」

「さかなちゃんは対面でのやりとりが苦手って言うけど、実際やってみたらすぐ慣れると思うよ」

「というより、あなたにはミステリアスなオーラがすごくあるからそれを活かせないのはもったいないと思う」

「なんだかんだ言ったけど、小さい頃からずっとそれが好きっていうのがまず才能だし、お金にならなくても無限に勉強できるっていうのもまた才能だよ」

 

 なんて言って励ましてくれた。まさに飴と鞭。ダメなものはダメとはっきりいうが、それで終わらせずきちんとフォローも入れてくれるのがこのひとのすごいところだよなあと改めて思った。「パートナー」ってまさにこういう存在を言うのだろう。唯一、私にミステリアスなオーラがあるという部分だけちょっと引っかかったけど(前は喜んでいたが冷静に考えてみると彼以外の人間にそんなこと言われたことない…)、それだってそんな風に言ってくれる心がまず嬉しかった。

 

 さて、二人の意見が一致した部分をまとめるとこんな感じになる。

 

・とりあえずやってみるのはいい。

・ダメだと思ったらすぐに撤退。無駄なことで私生活を犠牲にしない。

・時給換算はきちんとやる。

・稼ぐ目的ではやらないほうがいい。

 

 なんとも夢がないとは思うが現実はこんなもんだ。

 

 

 それにしても、と思うのは、恋人のこの現実感覚の鋭さについてだ。太陽・山羊/月・牡牛でライツが土星座で固まっている他、知性を司る水星が山羊。破壊と再生を司る冥王星アスペクトが集中している影響なのか(月がオポジション、金星がスクエア、太陽・水星・海王星セキスタイル)、人生にの分岐点おいてけっこう大胆な舵取りの仕方をすることが多く、他人に対しても「やったれ!」「やめろ!」と極端な発破のかけ方をするが、ベースの性格にはかなり土要素が出ており、今回のようにちょっとした話し合いをした際には案外堅実思考だなあと感じることが多い。やれやれ、とはいうが、損をするなら絶対やるな、というタイプ。

 

 対する自分はどうか?と考えてみるとこちらはかなり火の要素が強い。まず、太陽・月の二つの惑星で牡羊座がコンジャクション。さらには太陽の牡羊座、火星の獅子座、木星の射手座が火のグランドトラインを形成しており、とにかく情熱的な星まわり。他人から思われる以上にエネルギッシュで、やる気と熱意に満ちている人間なのは自分でも認める。ただ、往々にしてスタートダッシュで全ての火力を使い切ってしまうため、何かを継続させていくのは苦手。これはおそらく土エレが弱い影響もある(かろうじてアセンダントが山羊だけど他は天王星海王星にあるのみ)。

 

 タロットカードのCHARIOTが象徴するものにも見られるように、「前進」は情熱と理性の両輪が同時にまわっているときにしかうまくいかない。エネルギーと勢いだけで突っ走ろうとすることが多い私には、自分の頭できちんと考えて、冷静な言葉をかけてくれる恋人の存在が絶対的に必要だな、と改めて感じた。

ここは地獄の4丁目

 親友宛てにものすごい内容の手紙を出した。関係性がきちんと出来上がっていなければ人格を疑われてもしょうがないような、ほんとうにどうしようもないことが二枚の便箋に渡ってたっぷり書いてある。大袈裟な言い方をするならば、この手紙を書くにあたって私はいくつかの道徳規範を犯したといえよう。なんてわるいやつ。まあ、極悪人というよりは俗悪な天使ですけど。

 一応、手紙に記した悪事の内容は友達自身とはまったく関係がないことで、彼女はその罪を好き勝手に告白されているだけだから、(よっぽど軽蔑されない限りは)二人の間に亀裂が入る心配はないと思う。もし笑いながら読んでくれるなら嬉しい。

 

 内から湧き出てくる笑いで震えながら手紙を書き上げたあと、私はしばらく興奮を止められなかった。珈琲を続けて何杯も飲んだときみたいに胸がドキドキして、苦しい。こんなことを打ち明けられる人間がいてよかったな、と心底感じ入った。私は明らかに幸福だった。

 

 翌日になっても高揚感は続いた。朝目覚めると私は世界でいちばんキュートな女の子だった。頭が完全に壊れていたし、壊れてる部分を執拗にいじくりまわすのが楽しくて楽しくてたまらない。心はなめらかなクリーム色をしており、肌に触れる空気がやけにやわらかかった。満月のように狂っていて、天使のように軽やかな気分とはこういうことだ。

 

 あまりにも晴々とした気持ちで、風通しがいいものだから驚いていると、なんとマスクをつけ忘れた状態で家から出ていた(マンションの出口で我に返った)。

 

⭐︎

 

 こんなにhappyでも私は自分が地獄にいることにきちんと気がついていた。でも、なんて明るい地獄!

 

 昨日書いた手紙を出来るだけ早く手放したかった私は(あまりにもひどい代物なので)昼休み中に職場を抜け出してポストへ投函することに成功した。

 

 ねえみんな、私は何をしたと思いますか?

埋葬予定地

 遊びに出かけた恋人を見送ったあと、しばらくしてから精神の調子が悪いことに気が付いた。部屋を掃除したり、洗濯物を干したりしている間は平気だったのだが、やるべきだと思っていた家の用事をすべて片づけた途端、何かをしようという気力がすっかりなくなってしまい、一時間ぐらい横たわって天井を見つめながら過ごした。せっかくの四連休なのに。

 やりたいことはいろいろあるはずだった。最近お気に入りの音楽を流しながら文章を書くとか、占いの勉強をするとか。でも、体が動かない。かなしいという気持ちが心の底で重石みたいになっていて、一ミリも布団から這い出ようという気になれない。どんなになっても料理だけはするつもりだったけど、お昼ご飯を食べる時間にはまだかなり早かった。

 

こんなに暑い中ひとりでいると失恋して死のうとした十五歳の自分に戻ってしまう。私は本当に気持ちの悪い子供だった。

 

 

 最近また「顔がかわいくなくて死にたい」と思った。二十六歳になっても顔がかわいくないせいで死にたくなるんだな、と自分で自分に驚いた。思春期だけの病気じゃなかったんだ。というより、もしかするといまもまだ思春期なのかもしれない。私は夏で、十五歳で、死にたくて、不細工で、夜はあまい死臭のする女児と一緒に寝るんだ。

 

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 ぐちゃぐちゃの気持ちで作った台湾まぜそばは美味しかった。食べたら少し回復した。