指針

 奴隷になるのがすきだ。なにか神様のような存在の足元に平伏して、自分の持っているものすべてを捧げること。具体的な対象も現れないまま、そういう願望だけがずっと根強くあった。恋人よりも献身の宛先がほしい、わたしの主人はいつあらわれるのだろうか、いっそ宗教にはまってみたら。いままで何度もそういうことを考えていて、でも結局なにも起こらなかったように思う。というか、起こってもあまり長い間続かなかったのだ。

 最近になって気が付いたのは、特定の人物などではなく、もっと大きな概念、「うつくしいものやこと」を奉仕の対象とするのが最善なのではないかということ。

おめでとう。入学した170人は磨けば光る原石である。このなかから一つか二つ、美しく輝く宝石のような芸術家が生まれれば、それでよい。ほかの168人は宝石を磨く手伝いをせよ(東京芸術大学学長澄川喜一)

 この言葉をはじめて知ったとき、胸がふるえるような感動を覚えた。自分が特別なものを作れなくてもいい。ただすこしでもうつくしいもの、あるいは、うつくしいものを産み出すだれかの手に尽くせたら。

 たぶんわたしにできることなんてたかが知れている。だけどわたしはわたしなりに砥石としての人生を歩みたい。