春、途轍もなくでかい絵を描く

 また人生が速くなってきた。やりたいことが山積してきた。仕事を辞めたくなってきた。

 頭の中が取っ散らかりすぎていて、整理しようにもどこから手を付ければいいのかわからない。自分だけでは(時には夫に相談した上でも)判断の難しい部分もけっこうあり、人生の解答をネットの海で探し回ったり、占い師に相談することを検討したりもしたけど、たぶん、他人から何を言われたとしても響かないんだよな、という気がしてしまい、結局ずっとひとりで悶々としている。私はどうしたらいいのか。何を考えたらいいのか。何から考えたらいいのか。

 

Ⅰ.仕事辞めたい

 これにはいろんな理由がある。いや、あるようでない。というのも私が仕事を辞めたいと思ったり実際に仕事を辞めたりするのは良くあることだからだ。大学を中退して以来、バイトだったり正社員だったり派遣だったりその時々でいろんな働き方をしてきたけれど、どれも二年以上は続いた試しがない。

 今回もそれなりに志望度が高い企業へ入社したつもりだったが、数か月働いてみるうちにだんだん考えが変わってきた。変わってきたというか、いろいろ目につくようになってきた。というのは、社長の言ってることが常にいまひとつよくわかんねえとか、変な方向にやる気のある同僚がなんかだるいとか、直属の上司がずっと非人間的な働き方をしているとか、そういうことだ。まあでもそれは別にいい。いちばん感じたのは、そもそもやっぱり長期的に腰を据えて働くことが前提の「正社員」という雇用形態は私に向いてないのではないか?ということだ。

 ってこれ、三年ぐらい前にもまったく同じ結論に到達してる気がする。それでその結果どうしたかというと、正社員の仕事を辞め、バイト暮らしに戻り、給料の低さに耐え切れなくなってまた正社員を目指すことになった。つまりこれ、バイトや派遣であってもお給料さえよければ解決可能な悩み・問題では?

 ということで、先月受けた資格試験の結果さえよければ、今後はその筋の業界で派遣社員契約社員をやりながら生きていこうと思う。

 

Ⅱ.また旅に出たくなってきた

 去年四ケ月とか五ケ月をかけてヨーロッパを巡ったので、今度は中東のほうを旅してみたい。三月に読んだアーザル・ナフィースィーテヘランでロリータを読む』がとてもよく、そこからイランという国に興味を持った。革命戦争やデモ、暴動などのイメージが強く、私も最近までよく知らなかったのだが、基本的な治安はいいらしい。人も優しいと聞く。有名なピンクモスクを始めとし、歴史ある宮殿が多数あり、写真などを眺めているとうっとりしてしまう。

 

 それでどうせ海外に行くのであれば、ついでに他の国もめぐっておきたいよね、航空券高いし、長期の休みを調整するのって難しいし、という話になった。これに関しては今のところだいたい下記二パターンを検討している。

 

・九月上旬スタート/イラン(先にインド入りしていた夫と空港で合流)→アゼルバイジャンジョージア→トルコ→?

 
・来春四月下旬スタート/ルーマニアハンガリーブルガリア(薔薇祭りに行きたい)→トルコ→ジョージア→イラン→急にフランス→イタリア

 

Ⅲ.勉強したい

 という計画があるので、今度こそはもっと語学力を鍛え、万全の状態で海外旅行を楽しみたい。具体的にいうと、英語とペルシャ語とフランス語を学びたい。自分のキャパシティをなんだと思っているのだ。

 それと並行して、次の試験の対策なども立てなくてはいけない。

 

Ⅳ.でかい絵を描きたい

 絵描きのひとが数カ月かけて制作した作品をTwitterに載せていて、とてもいいな、と思った。その絵が、というよりは、そういった試みを出来ることがだ。私は詩や短歌を主にやっていて(最近はだいぶサボっている)、あまりでかい作品は作ったことがない。去年現代短歌社賞に出した三百首などはちょっとした例外だが、連作などを含めて考えても、長くて一カ月、短ければ数時間から数日かけて一篇なり一首なりを完結させてしまうことが大半だ。まあ、別に、それが悪いわけとかではない。詩や短歌というものの性質を考えれば自然なことなんじゃないか、という気もする。

 だけど、たまたまその絵描きのひとを見て、なんとなく私もこういうことをやりたいな、いや、やったほうがいいんじゃないか。というかんじがしてきた。急に。私はすごくせっかちでなんでもすぐに終わらせてしまうけど、それをちょっと抑えて、これまでとはまったく別のスタンスで作るということに向き合ってみたい。いや、向き合いたい。せっかく生まれてきたんだもの。人生の一時、数年とか、数十年かけてひとつの仕事に全力の情熱をかける季節があったほうがいい。絶対。

 そんなようなことをもうけっこう前に思った。それでどうしようかな、どんな絵にしようかな、ということを最近はずっと考えている。絵というのは比喩なので、たぶん、水彩絵の具よりはずっと使い慣れている言葉を駆使し、長編小説のようなかたちを作っていくことは予想される。ただ、それ以外はまだ何も決まっていない。

 

 

 最近はこんな感じでごちゃごちゃしている。